『ロジャー・マーガトロイドのしわざ』(ギルバート・アデア/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ロジャー・マーガトロイドのしわざ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1808)

ロジャー・マーガトロイドのしわざ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1808)

 これは面白かったです。ミステリのお約束を骨組みとして作られた構成は、いかにも作り物感に溢れていますが、しかしながらとても豪華でお洒落で、それでいて職人気質の感じられる仕上がりになっています。本格好きにはたまらない一品でしょう。
 巻末の解説にもあるとおり、本書の舞台は1935年ごろに設定されています。そんな中で発生した雪に閉ざされた山荘での密室殺人事件。さらに登場人物の中にミステリ作家がいます。彼女は自作やカー、チェスタトンといったミステリを引き合いに出して事件を説明しようとするので、物語はおのずとメタ・ミステリめいたパロディの様相を呈してきます。しかも、被害者は最低の恐喝者で、殺人の動機は誰もが持っています。まさに海外版の新本格ミステリとでもいうべき雰囲気です。
 しかしながら、これがとても面白いのです。黄金時代のミステリをくすぐりに使ってはいますが、それは間接的なものにとどまっています。直接的にではなくて、あくまでも雰囲気として巧みに用いています。カーやチェスタトン*1といった古典の名作を知ってる方なら思わずニヤリとされるでしょうが、そうでなくても多分問題ないと思います。問題ないですが、本書のような傑作に触れると、そこから古典への興味・リスペクトみたいなものが自然と沸いてくるんじゃないかなぁと思ったり思わなかったりです(笑)。いずれにしても、本格の精神みたいなものを「分かってる」のが本書のいいところです。作中でカーの名前を頻繁に登場させてクリスティを意識してその上を目指して書かれた本書は、まさにその狙いどおりの傑作です。
 以下、私が特に面白いと思った箇所を、ネタを割らずに済む範囲で可能な限り紹介してみます。本書の物語は閉ざされた山荘での事件ですので、警察の正式な介入には時を待たねばなりません。その間、登場人物たちは皆の前で、自分が被害者に対して抱えていた事情(動機)と事件当夜の動き(アリバイ)とを語らされることになります。ここから、各人の一人称語りが始まるのですが、

「要するに、わたしは嘘をつくのが下手なんだ。フランドルの状況をひととおり説明したときはそこそこ説得力があった。だが、一人称で語り始めると――わたしが塹壕まで行ったこと、わたしが軽傷者たちを励ましたこと、わたしが朽ちかけた村の教会でドイツ軍の大砲が家を揺らす轟音を遠くに聞きながら礼拝を行なったことを――つまりだね、警部補、わたしは精神的にすっかりまいってしまったんだ。言葉につまり、細かな点があいまいになり、日を取りちがえ、メモしておいた場所を忘れ、咳払いして口ごもり、また咳払いした。まったくどうしようもなかった!」
(本書p87より)

これはまさにミステリにおける「信頼できない語り手」のことです。一人称語りには常にこの問題がつきまといます。したがいまして、一人称語りで客観性を確保するためには何らかの工夫が必要とされることになります。そうしたミステリの抱えるテーマを、本書は登場人物の口から自然な形で語らせています。このことが、ひいては本書のトリックの大枠となっているのですから脱帽です。
【関連】続・三人称視点の語り手は誰? - 三軒茶屋 別館

「この殺人は厳密に言えば上流階級の事件だ。ああいう連中にとっての芸術なんだよ――狐狩りみたいな気取ったスポーツなんだ。おれたちは連中のだれかを殺したいと思うかもしれないが、連中がおれたちを殺すためにきれいに手入れした手を汚すことはぜったいにないと断言できるし、おれたちがカクテルパーティに連中を招くのにふさわしくないのもたしかなのさ」
(本書p144より)

 これは、本書の幕間ともいうべき場面での使用人たちの会話です。彼ら使用人は自分たちが事件の関係者ではないことを知っているために、”上”で行なわれている事件をまるで小説の中の出来事であるかのように語っています。こうした様子は、1928年に発表されたヴァン・ダインの二十則端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はないを想起せずにはいられません。何を今更と思われるかもしれませんが、本書の設定が1935年ごろなのをお忘れなく。このように、使用人たちがミステリのお約束を気軽に引き合いに出しながら無邪気に”犯人当て”をしている姿は、まるで読者たる私たちの内面を見透かしているかのようで、面白いと思いつつも気が抜けません。その程度のことは作者にとって織り込み済みということですからね。となると、果たして真相はいったい? そして犯人は誰なのか? 謎への興味は膨らむ一方です。
 これ以上はネタバレコードに抵触するので自重することにします。ネタの考察について興味のある方には黄金の羊毛亭さんの感想(特にネタバレ感想)を読まれることをオススメしておきます。ただし、本書のトリックはホントによく考えられていて、それでいてとても鮮やかなものです。この驚きは少しでも新鮮な状態で味わうべきものなので、未読の方はとっとと本書を手にとって一気読みされることを強くオススメします。勝手ながら2008年の海外本格を語る上での必読書と言っても過言ではないです。心の底からオススメです。あ、そうそう。最後の方でザングウィル『ビッグ・ボウの殺人』とルルー『黄色い部屋の謎』のネタバレがありますのでそれだけはご注意を。

*1:作中では「ギルバート」とファーストネームの方から紹介されますので、ひょっとしたら作者自身のちょっとした自慢かも知れませんけどね。