『スローターハウス5』(カート・ヴォネガット・ジュニア/ハヤカワ文庫)

 ロトの妻は、もちろん、町のほうをふりかえるなと命ぜられていた。だが彼女はふりかえってしまった。わたしはそのような彼女を愛する。それこそ人間的な行為だと思うからだ。
(本書p34より)

 スローターハウス(Slaughterhouse)とは肉食処理場・屠殺場という意味です。そんな物騒なタイトルで語られる本書のテーマは冒頭で語られるとおりドレスデン爆撃(参考:Wikipedia)です。ヴォネガット第二次世界大戦に兵士として欧州戦線に配属されますが、バルジの戦いで捕虜となりドレスデンに送られます。そこで、連合軍によるドレスデン爆撃を被害者として体験することになります。その死者の数は、控え目な推計で13万5千人とされています。

 サム、こんなに短い、ごたごたした、調子っぱずれの本になってしまった。だがそれは、大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつないからなのだ。今後何もいわせず何も要求させないためには、ひとり残らず死なねばならない。殺戮が終わったとき、あたりは静まりかえっていなければならない。そして殺戮とは常にそうしたものなのだ、鳥たちをのぞいては。
(本書p30より)

「理性的な言葉など何ひとつない」というのは、物語を紡ぐ上で絶望的な状況です。冒頭でそうした断りを入れた上で語られる、ビリー・ピルグリム*1を主人公とした作中作とでもいうべき本書のストーリーは、一読すると時間的な流れが滅茶苦茶で、読者としては正直混乱してしまいます。ビリーは自分の人生を未来から過去へと遡る能力を持っています。ただし、その能力を自分の意志でコントロールすることはできません。とても奇妙な時間旅行者なのです。したがいまして、彼の人生は始点と終点こそ定まっていますが、時間の流れが断片的でフラットなのです。過去と現在と未来とかすべてあるがままに彼の前には広がっているのです。
 ヴォネガットドレスデンを語るにあたり、ドレスデンから物語を紡ぐことをしませんでした。過去と未来といったものをドレスデンへと収束させることを選択しました。すなわち、ドレスデンを”現在”にしたのです。それは、ページをめくることによって時間が流れていくという一般的な小説の手法からすれば荒唐無稽な試みです。その荒唐無稽さに僅かながらでも「もっともらしさ」を与えてくれているのがSFのガジェットであるタイムトラベルなのです。
 そうした時間に対するビリーの観念の支えとなっているのが、トラルファマドール星人によって誘拐されて動物園に収容された経験です。これもまた荒唐無稽な設定です。トラルファマドール星人は、時間の流れ・因果というものを直列的には考えていません。因も果なく、すべてはなるようにしかならないと考えます。そこに自由意志などが介在する余地などありません。したがいまして、彼らトラルファマドール星人には個性といった概念もありませんし、固体の死というものについても特に意義を見出したりはしません。ビリーはトラルファマドール星人からそうした考え方を教えられます。そんな彼の語る彼自身の人生。兵士として従軍するも軍隊になじむことができずに仲間から虐げられた日々。捕虜となり生死をさまよいドレスデンに送られることとなったいきさつ。空白。復員後の入院生活。婚約者との幸せな結婚。息子のベトナム戦争への参戦。飛行機事故。妻の死。そういったものが、”そういうものだ(So it goes.)”の一言で片付けられ、淡々というより飄々とした文体で語られます。そうした態度は一見すると不条理なものに感じられます。しかし、連合軍が行なったドレスデンの爆撃は1963年までアメリカ国内では秘密にされてきました。あれだけの殺戮があったにもかかわらず、そんなことはまったくなかったものとして世の中は回っていけるのです。それこそ、世の中が”そういうものだ”からこそでしょう。
 虚構によってしか語ることのできない真実もあるのだということが感得できる一冊です。

*1:ピルグリム(Pilgrim)には、放浪者・巡礼者といった意味があります。