『時砂の王』(小川一水/ハヤカワ文庫)

時砂の王 (ハヤカワ文庫JA)

時砂の王 (ハヤカワ文庫JA)

 紛うことなき傑作です。これが文庫書下ろしとは驚きです。まずは単行本で出してガッポリ稼いで、それから文庫化してもよかったのではないでしょうか(笑)。
 26世紀の人類は、謎の増殖型戦闘機械群によって絶滅の危機に晒されています。そんな中、人類は人型人工知性体”メッセンジャー”を作り出し、彼らを過去へと送り出します。絶望的な人類の歴史を救うために。
 本書は小川一水初の時間SFとの触れ込みですが、看板に偽りなく時間SFとしてとても興味深い作品です。過去へとタイムスリップする時間旅行ものにお約束のテーマとして、果たして過去に干渉したことによって歴史が改変されるのかという問題(wikipedia:タイムトラベル)があります。いわゆるタイムパラドクスです。ただし、本書の場合は、過去の改変は平行世界理論によって処理されています。つまり、時間遡行が行われることでその時点から世界の分岐が始まるので歴史が改変されることはありません(ドラゴンボールのトランクスと同じ境遇です)。したがいまして、人型人工知性体が仮に謎の戦闘機械群(ET)との戦いに勝利したとしても彼らが元々いた時間軸の人類が救われることはありません。だからこそ彼らは”メッセンジャー”と名付けられているのです。しかしながら、平行世界理論が採用されているからといってタイムパラドクスの問題からまったく逃れられるというわけでもありません。過去あっての現在であり未来です。作中では”因果効果”としてサラッと説明されていますが、こうしたアイデアを些細な小ネタとして物語を進めていく辺りに本書のクオリティの高さを感じ取って欲しいです。
 そんなメッセンジャーたちの戦いは苦難の連続です。遡行する先々でその時代の人類たちと共闘するのですが、人類の存亡が関わっているにもかかわらず決して一枚岩になることはなく、それでいて敵の力は相変わらず強大です。メッセンジャーたちは時間戦において後退に次ぐ後退を余儀なくされます。その時代で必死に生き、そして死んでいった者たちを見捨てての後退。そうまでして戦う意味がどこにあるのか? 彼らはいったい何のために戦っているのか? メッセンジャーの一人であるオーヴィルはそうした苦悩を抱えたまま、3世紀の邪馬台国に降り立ち、そこで女王・卑弥呼こと彌与と共にETと戦うことになります。26世紀に作られた人工知性体と3世紀の王女との種の違い・時代の差・年の差を越えた交流が熱いです。萌えるし燃えます(笑)。本書は時間SFとしてそれなりにハードだと思いますが、それでいて人間を描くことを決して疎かにはしません。
 メッセンジャーたちの敵はETだけではありません。時間を遡り現地(現時?)の人間たちと交流する彼らですが、あくまでもそれはET打倒のためであり、そのためにはその時間に住む人間たちを犠牲にし、もしくは利用することすらも厭いません。厭いませんが、それでは自分たちもETと変わらないのではないかというという自己矛盾に陥りますし、そうした内なる敵との戦いによっても彼らは消耗していきます。メッセンジャーの中に、自分たちの時間の未来に住んでいた少女に伝えるために物語を紡いでいる(当然、伝わるはずもないのですが)アレクサンドルという知性体がいます。彼の生き方もまた哀しいです。その一方で、作中におけるその物語の生き方が実に心憎いです。
 『魔法先生ネギま!』の学園祭編では、未来から来た超鈴音(チャオ・リンシェン)が歴史を改変するために過去(ネギたちから見て現在)に介入する陰謀をたくらみました。超鈴音の動機の詳細は不明ながら、知ればおそらく共感可能なものであろうと推測されます。それでもネギたちは戦いました。それは、超鈴音の目的が人類の存亡といった究極的な事態ではなく、そうであるならば今に住むものとして今を守る、という善悪の判断を放棄した上での決心によるものでした(コミックス17巻参照)。その点、本書の場合はまさに究極的な事態なので、過去への介入を躊躇っている場合ではないはずです。しかし、戦いに戦いを重ね、死に死を重ねていくうちに疑問や矛盾が次々と沸いてきます。本書は単に人類とETとの戦いだけでなく過去と未来との戦いという側面もあります。だからこそ、その時代に生きる人間である彌与の役割もまた大きいです。
 『時砂の王』というタイトルを見て、私は砂時計を思い浮かべました。砂時計は上から下へと砂が落ちていくことで我々に時間の流れを教えてくれますが、砂がすべて落ちてしまったら止まってしまいます。しかし、ひっくり返せばもう一度時間は流れます。そんな時を夢見てのメッセンジャーたちの孤独な戦い。276ページと比較的コンパクトな物語ではありますが内容は盛り沢山で、にもかかわらず瞬読してしまいました。文字通り寝食を忘れての一気読みです。SFとしての時空を超えたスケールの大きさとそこに生きる人々の想いにとにかく圧倒されました。この酩酊感は良質なSFならではのものでしょう。オススメです。
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