『学校を出よう! 3』(谷川流/電撃文庫)

学校を出よう!〈3〉The Laughing Bootleg (電撃文庫)

学校を出よう!〈3〉The Laughing Bootleg (電撃文庫)

 本書は2部構成的になってまして、第三EMP学園の女子寮における人間消失事件の解決が第1部で、その真相を前提にしたさらなる大事件の発生が第2部となります。密室からの人間消失事件などと聞くと、どうしてもミステリを期待したくなってしまいますが、EMPなどという謎の超能力が存在する世界での消失事件ですから、真っ当な推理を期待するのが野暮というものですけれど、それにしてはきちんとした推理が開陳されて事件が解決されるところが面白いです。
 で、その真相を踏まえて次なる事件が発生するわけですが、1巻では幽霊でしたけれど、本書ではドッペルゲンガーとでも表現すべき現象が大規模に発生します。幽霊とドッペルゲンガーの違いとは何でしょうか? いや、大違いではあるのですが(汗)、幽霊は死後の存在ですから生死の問題はありますが人格の単一性・真偽の問題は発生しません。対して、ドッペルゲンガー(本書では〈シム〉と呼ばれています)は、本物が存在することを前提としての”もう一人の存在”ですから、どちらが本物でどちらが偽物なのか? というのが大問題となります。しかし、それは誰にとっての問題なのでしょう? 本当に問題なのでしょうか? 本物と偽物のパーソナリティはどのように決まるのでしょうか? こんな風に問題提起しちゃうと小難しいものに思われちゃうかもしれませんが、実際には、光明寺茉衣子という悲劇(笑)のヒロインを中心としたコメディとして物語は展開していきます。そうしたドタバタの幕間幕間に衒学的なやり取りがタイミングよく挿話されます。作者の優れたバランス感覚によって総じて安定した雰囲気の物語に仕上がっていると思います。
 ところで、私は本書を読んでP・K・ディックの『あなたをつくります』を思い浮かべました。というのも、本書に登場するドッペルゲンガー想念体〈シム〉の名称の由来は「シミュラークルのシム」と説明されているのですが、そのことが『あなたをつくります』に登場する模造人間シミュラクラを思い起こさせるからです。〈シム〉と違いシミュラクラは高性能のロボットです。その人格はプログラムによって作られるものなので本来なら人間とは明確に違うはずなのですが、しかし、そうして生まれたはずのシミュラクラはまるで人間そっくりに動き、本を読み、話をします。『あなたをつくります』の主人公ルイスはシミュラクラとの会話に安らぎを覚える一方で、人間であるはずの少女との会話に苦悩します。人間以上に人間らしい存在と人間らしくない人間と、その両者を目の前にしたときに、果たしてどちらが人間なのかを確かめる意味はどこにあるのでしょうか? 
 なお、『あなたをつくります』には興味深いエピソードがあります。P・K・ディックという作家は、映画『ブレードランナー』や『トータル・リコール』の原作者としても知られていますから、SF作家というイメージが圧倒的だと思います。しかし、実はディック自身SFから離れた主流文学も志向していまして、本書はそうした最中に書かれた作品です。従いまして、『あなたをつくります』は、シミュラクラといういかにもSF的なガジェットが出てくるにもかかわらず、物語の内容はあまりSF的ではありません。で、『あなたを〜』は、単行本で刊行される3年前に雑誌〈アメージング・ストーリーズ〉において2回分載で発表されているのですが、そのとき編集長だったテッド・ホワイトによって勝手にSF的な結末を書き加えられて発表されてしまいました(単行本刊行時には、もちろんディックの元の原稿のまま発表されています)。具体的にどのような加筆だったのかは『あなたを〜』巻末の解説に詳しいのでここでは省略します。しかし、オチの付け方によるジャンル性の変更という事象は、本書『学校を出よう! 3』におけるある人物同士の会話を彷彿とさせるものがあってなかなか興味深い事柄だと思います。
あなたをつくります (創元SF文庫)

あなたをつくります (創元SF文庫)

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『学校を出よう!』シリーズとP・K・ディック作品の関連性についての私論