『カッティング〜Case of Mio〜』(翅田大介/HJ文庫)

カッティング ~Case of Mio~ (HJ文庫 は 1-1-1)

カッティング ~Case of Mio~ (HJ文庫 は 1-1-1)

 第一回ノベルジャパン大賞”佳作”受賞作です(ちなみに大賞はこちら)。
(今回は少々ネタバレ気味なので、以下は既読の方のみご覧下さい。)
 本書を読み終えた上での印象を正直に述べますと、エヴァンゲリオンからシンジとレイだけ取り出して、さらにレイの設定を一部変更して無理やりハッピーエンドに仕立てたのが本書ではないかと思いました(笑)。あー、すいません、石を投げないで下さい。真面目にやりますです、はい。
 主人公である相坂カズヤの抱える悩みは、古くは太宰治の『人間失格』、最近だと中村九郎の『ロクメンダイス、(プチ書評)』にも共通して見られる類のものです(←非常に偏ったサンプル)。それだけに、ごく普通の少年と言ってもよいと思います。そんな主人公の悩みを、本書では理性と感情の乖離という風にシンプルにまとめてしまっているのが良いことなのか悪いことなのか判断が付きかねるところではありますが、少なくともうじうじと悩み続けるよりは良いのでしょうね(苦笑)。
 一方、ミオたちの抱える悩みは確かに悩みであることには間違いないのですが、ただ、死んだままよりは遥かにいいだろう、というか、かなりの好条件で蘇生が可能で倫理上の問題もあまりなさそうですし、そんなにくよくよすることじゃあないように正直思います。ですから、真相が分かったときには拍子抜けというか何をそんなに悩むのか疑問に思ったものですが、沙姫部みさきの存在によってそれは多少解消されました。それでも、やはりそこは悩むところではないように思うのですが、どんなもんでしょうか?
 それはそれとして面白かったです。読書好きとしては、最初の方の、二人で本を読みながら徐々に距離を縮めていく下りがとても好きです。むしろ、そうしたプラトニックなのをメインにしてバトルはなしの方向でお願いしたかったのですが、肉体というものに拘らざるを得ない本書の設定上仕方がなかったのかもしれませんね。青臭さは強めですしいかにもラノベな設定が鼻に付きもしますし少々病み気味ではありますが、でも、悪くないと思います。
 カッティング(Cutting=切断、断片、傷)というタイトルの意味を考えますと、基本的には作中で述べられているとおりの意味でしょう。それとは別に私が思ったのは、刻む・彫るという意味での Cut です。人と人との触れ合いにおいて、傷付けあうことはときには避けられないけれど、それは原石が光り輝く宝石になるために、あるいは彫刻という一つの作品として完成するために、必要不可欠な工程ではないかと思うのです。そんな意味を私はタイトルから読み取りました。あくまで勝手な読み方に過ぎませんけどね。