『ゴーレム100』(アルフレッド・ベスター/国書刊行会)

ゴーレム 100 (未来の文学)

ゴーレム 100 (未来の文学)

 そう考えると、ゴーレム100とは暴走する言葉そのもの、言語の怪物とみなしていい。ボルヘススラデックが紹介しているとおり、ユダヤ伝承のゴーレムは額にヘブライ語で「真理(emeth)」と書くと生命を宿し、eを消して「死(meth)」にすると泥人形に戻る。すなわち、もともとゴーレムとは言葉遊びの産物なのだ……。
a day in the mercy snowより

 国書刊行会の〈未来の文学〉シリーズ第Ⅱ期の一冊として刊行された本書ですが、本書はまさに”未来の文学”の名に相応しい出来映えです。現に存在しているものを指して未来のもの扱いすることの可笑しさは十分承知していますが、それでも、「これは新しい!」と言わずにはいられません。それほどまでにかっ飛んだ内容です。とても1980年に書かれたものだとは思えません。すごいです。
 ベスターといえばSFファンには『虎よ、虎よ!』でお馴染みですが、あれはかなりイカれた主人公のお話だったのでストーリー自体が荒唐無稽で難解でした。本書の場合、謎の連続殺人犯であるゴーレム100の正体を突き止めるというシンプルな物語の軸があるので、ストーリー自体は分かりやすいです。ただ、そこで用いられている表現の手法、連続殺人犯であるゴーレムの正体と、それを突き止めた後の展開は相当ぶっ飛んだものなので、そういうのをベスターに期待していた者としては存分に楽しむことができました。
 主な登場人物は、精神工学者のグレッチェン・ナンと科学者ブレイズ・シマ、それに警察官のインドゥニの3人です。ナンとシマは出会ってすぐ恋人同士になってセックスばかりしています。その一方で、インドゥニは陰惨な連続殺人事件の捜査に当たっています。そんな”性”と”死”の語られるシーンがたくさんあります(笑)。”性”については下品なスラングが頻繁に使われてますし、”死”については多用な死に様のパターンが用意されています。そういう意味では最低のエログロ小説です。ただし、表現そのものは最低最悪でも、そこで語られていることはフェミニズムの観点からは面白いというかもっともだと思える点も多々あるので侮れません。
 本書はSFとして、超能力とかドラッグ、サイバネティクスサイバーパンクオーバーロードといったSF的なガジェットがふんだんに盛り込まれています。まさにごった煮で本来なら下卑たものになっても不思議じゃないのですが、何故か一つの作品としての統一感があります。それは、おそらくはベスターの品の上下に囚われない自由な文体による語りの魅力、もしくは主要人物3人の掛け合いの妙にあるのではないかと思います。つまりは、SFというジャンル的面白さを上回るベスターという作家の作り出す世界にはまってしまったということなのでしょう。確かに、病みつきになってしまう”やばさ”があります。
 小説としてもとても大胆というか斬新な手法がふんだんに使われています。フォント遊びに言葉遊び、さらには無性に想像力を刺激するイラストなどなど。フォント遊びや言葉遊びといった実験小説と言えば、日本の作家だと筒井康隆の名前が真っ先に思い浮かびます。氏の実験小説の代表作は『虚人たち(書評)』ということになるでしょうが、『虚人たち』は実験小説としては成功作だけど物語としてはつまらない、というのが一般的な評価です。その点、本書は文字列で模様を描いたり文字を反転させたり冒頭から楽譜が載ってたりとやりたい放題やってるくせに、物語としてもすごく面白いです。ずるいと言えばずるいのですが(笑)、多分ベスター的にはこれでも抑えている方だと思います。
 さらに、イラストの使われ方もかなり特殊です。小説とイラストというと、日本だとライトノベルがどうしても頭に思い浮かびますがそれとはまったく違います。ライトノベルの場合、イラストは本文・小説の内容を説明するために使われています(なかには、とてもそうは思えない酷い挿絵のものとかあったりしますが)。本書の場合は逆で、一見意味不明で滑稽なイラストの意味は、本文によってきちんと説明されます。本書の主な登場人物のうち、グレッチェン・ナンは解決作をまず”感じて”それを頭脳が立証していくというパターンをとります。一方ブレイズはその反対に、事実を見つけた後でそれを感覚に移し変えるという思考パターンを持っています。そうした真相へのアプローチの違いを考える上でも、本書におけるイラストの使われ方はとても有為的に機能しています。
 とにかく、”最強にして最狂の伝説的長篇”という謳い文句は伊達じゃありません。SFファンにはもちろんのこと、小説という表現形式の好きな方、その限界と可能性に興味のある方にはぜひ読んで欲しい一冊です。