『ボナンザVS勝負脳』(保木邦仁・渡辺明/角川oneテーマ21)

 2007年3月21日に、コンピュータ将棋プログラム『ボナンザ』と渡辺明竜王との公開対局が行なわれました(持ち時間各2時間)。本書はその対局について、プログラム開発者である保木邦仁氏からの視点、ボナンザと対局した渡辺明竜王の視点とでそれぞれ述べられています。併せて、その対局を踏まえての保木・渡辺の対談も載せられています。さらには、保木氏によるコンピュータ将棋の今後の可能性、渡辺竜王のプロ棋士としての考え方・克己心が語られています。これは、プログラマーとプロ棋士という違った立場から将棋という共通言語を用いた未来の人間像・思考の模索ともいえるでしょう。最後に、保木氏による科学的思考の重要性というものが語られるという、そんな構成になっています。
 とにかく興味深い内容が盛りだくさんです。最初に保木氏によってボナンザの誕生した経緯・特徴が説明されるのですが、これが根っからの文系人間である私にはちんぷんかんぷん(笑)。ボナンザの特質はコンピュータチェスで主流だった全幅探索(しらみつぶし)にあり、それがこれまで将棋で主流だった選択的探索(ゲームの戦略性を考慮して指し手を絞る手法)とは大きく異なるものである、という程度のことは知ってました。しかし、しらみつぶしも選択をする(p33)とか、全幅探索の場合、ハードの処理能力が伴わないと難しいということがいわれる。実はこの認識は正しくない。むしろ選択的探索のほうがハードの能力が必要とされる。プログラムがより複雑になる分、ハードに負荷がかかるからだ。その点、全幅探索は単純なアルゴリズムに依拠して成り立つ(p33)などとなると、頭の中が????となります。人間の感覚の数値化や読みの絞り方(切り捨て方)など、コンピュータ側から見てまだまだ課題はたくさんあるみたいですね。
 保木氏は、ボナンザの指し手を人々が評価する様子について多くの人々は、ボナンザを人工知能と呼ぶ。対局を観戦して、ボナンザが「躊躇った」とか、「焦った」「その気になった」などと表現する人もいた。しかし、そのように見える思考過程は、すべて数式の結果にすぎない。申し訳ないが、そこには感情が芽生える要素などはない(p4)と述べています。それはまったくその通りでしょう。しかし、その一方で、面白いことに保木氏は将棋に関しては初級者レベルです。なぜその程度の将棋の腕前でこんな強豪プログラムが作れちゃうのかというのが謎なのですが(笑)、そういうわけですので、ボナンザの指し手の価値はやはり他の人間に評価してもらうより他ないのですね。そこがとても面白く思いました。
 渡辺竜王が対ボナンザ戦に臨むにあたっての本気度というのは、竜王自身のブログを逐一チェックすることで十分伝わってきてましたが、本書でそのことを再確認することができます。対ボナンザの戦略についても書かれているのですが、序盤から終盤まではっきりと体系化されている戦型は避けること。具体的には角換わり腰掛け銀のように、仕掛けから終盤までかなりの手順が定跡化されいる戦型は人間にとって損ということがわかった(p59〜60)というのには、私自身の経験とも合致して激しく納得です。コンピュータに角換わりで勝つのは至難の技です。角換わり好きにとっては辛い現実です(泣)。ボナンザ対渡辺竜王戦は、ボナンザの予想外の善戦によってコンピュータ将棋の評価がぐっと上がることにつながりましたが、その裏返しとして善戦を許してしまった渡辺竜王の後悔と自負はとてもよく分かります。次の対コンピュータ戦がいつどのように行なわれるのかは分かりませんが、誰がコンピュータと戦うことになるにせよ「全駒にしてやるよ」くらいの意気込みでお願いします(笑)。
 ボナンザの個性は間違い方に出る(p110)という指摘は、棋風というものを考える上でとても興味深いです。囲碁の話になりますが、川端康成『名人(プチ書評)』で述べられているような棋風についての考え方には私も全面的に同意します。将棋の場合でも指し手を考慮する場合においてそこに最善手があるのならそれを指すことが最優先されるべきで、受けの棋風だから受けるとか攻めの棋風だから攻めるというのは将棋の神様の前では笑止千万なことなのでしょう。攻めるべきところで受けてしまい受けるべきところで攻めてしまう、そうした間違いの積み重ねによって作られるイメージこそが、棋風というものの正体なのではないかと思います。もちろん、そこには将棋において最善手を探し出すことの難しさということも関わっているわけですが。一般の将棋ファンからすれば将棋指しというのは雲の上の人みたいな存在ですから、そうした天上人を人間臭く語るための言葉として棋風があるのだと思います。
 てなわけで、本書は将棋を通じて物事の考え方というものが語られています。熱心な将棋ファンはもとより、初心者・将棋にちょっと興味があるという方、「『ハチワンダイバー』や『3月のライオン』は面白いけど将棋はちょっと……」という方まで、広くオススメしたい一冊です。
 ただし、一点だけ不満があります。それは、本書の核であるボナンザ対渡辺竜王戦棋譜が掲載されていないことです。確かに、ネット上で中継もされてましたし専門誌は軒並みフォローしてましたから、将棋ファンからすれば必要度はそれほど高くありません。しかし、本書を将棋に触れるきっかけとして欲しいと考える場合には、そこで語られている対局の本物・実物が記載されていないことは画竜点睛を欠く気がします。巻末でよいので載せといて欲しかったです。
 というわけで、こちらからJavaによる再現棋譜をご覧になることができますので、ぜひチェックしてみて下さいませ。

【関連サイト】
渡辺明ブログ
 渡辺竜王ご自身のブログです。更新頻度、その質・量ともにとても充実しているブログです。将棋のイベント情報の告知も積極的に行なわれているのでファンなら要チェックです。
Bonanza - The Computer Shogi Program
 フリーソフトBonanza』(ボナンザ)を無料でダウンロードできます。コンピュータがいつ人間を超えるのかに興味を覚える方も多いかと思われますが、こいつのむかつく強さを味わうと「人間頑張れ」と言わずにはいられません(笑)。
daichan's opinion:コンピュータ将棋について
daichan's opinion:「その後」の世界を展望してみる
 ともに片上大輔五段(ご自身のメインのブログはこちら)による、コンピュータ将棋についての考え方、プロ棋士よりコンピュータ将棋の方が強くなってしまった世界でのプロ棋士のあり方などについての考察です。私自身はまだまだ大丈夫じゃないかと思ってるのですが、プロ棋士の立場としては、確かにコンピュータが強くなった場合のことも考えちゃいますよね。