『不確定世界の探偵物語』(鏡明/創元SF文庫)

不確定世界の探偵物語 (創元SF文庫)

不確定世界の探偵物語 (創元SF文庫)

 ただ一人の富豪が所有するタイムマシンによって過去が常に変えられていく世界。目の前の相手が突然別の人間になってしまったり、死んだと思ってた人間が生き返ったり、生きてたはずの人間が死者になってたり。そんな世界において、いったい探偵に何ができるのか?
 いろんな楽しみ方のできる物語ではありますが、個人的にはハードボイルド>SF>ミステリだと思います。
 狭義のミステリとして面白さに欠けるのは仕方のないところです。何しろ、推理の拠り所となるべき事実がコロコロと変わってしまうのですからね。もっとも、殊能将之の某アリバイミステリみたいにメタフィクショナルな楽しみ方はできます。また、本書は8編の連作短編形式なのですが、伏線の回収と何ともいいがたい結末が待ってますので、広い意味でのミステリとしては楽しめます。
 とは言え、あらすじから明らかなように本書のアイデアの核はタイムトラベルですから、当然SFとしてのアプローチが最優先されるべきでしょう。

 なぜ、過去を変えてはいけないのか?
 過去に旅をするという極めて魅力的な、そして自由なアイディアが、現在に連なる過去を変えてはいけないという規則のために、いつも、現在を守るという退屈な物語になってしまうことに、耐えられなかったのだ。
 なるほど、過去を変えてはいけないという規則は、現在を守らねばならないという規則に連なる。が、その現在というものが、守るに値するほど素晴らしいものなのか?
本書あとがきp399より

 その問題意識には非常に共感できます。アニメ版『時かけ』が大ヒットしたのは記憶に新しいところですが、タイムリープというSF的には凡庸なアイデアのはずのストーリーがなぜあんなにも面白いのか? SF的に考えますと、(なぜか)タブーとされている過去の改変を、節操なくしまくっているところだと思います。倫理的にも理論的にも躊躇しがちなものですが(笑)、そんなことお構いなしで飛びまくるところがとても面白かったです。
 本書でも、やはり時間改変は絶えず行なわれています。ただし、アニメ版『時かけ』は時間改変を行なっている当の本人が主人公ですが、本書では、時間改変に巻き込まれる一市民である私立探偵が主人公という点が異なります(タイムトラベルものなのに時間旅行をまったくしない主人公というのもかなり珍しいでしょう)。時間改変を行なっている当の本人は通常の時間とはメタな時間軸に立っていますので必ずしもタイムパラドクスを意識する必要はありません。しかし、時間改変に巻き込まれる人間にしてみれば、本来あるべき時間の流れと、改変によって生じる時間の流れとの間に生じる矛盾に対し、果たしてどのように付き合わされることになるのか? 本書では、歴史の改変によってそれまでの歴史の流れが消失するわけではなく、変化した複数の系列の時間帯を同時に経験することになるという設定が用いられています。まさに、”不確定世界”です(参考→Wikipedia:不確定性原理)。歴史が変えられているという意識が生じないことにはタイムパラドクスも問題も生じようがありませんから、そうした意味でも妥当な設定だと思います。
 ですから、人々は富豪による歴史改変をおぼろげながらも感じ取ることはできるのです。しかし、資料などの記録は改変によって変化してしまうので、本来の歴史はその出来事に関わった人間の記憶だけが頼りということになります。ここに、私立探偵の活躍する余地があります。一見すると荒唐無稽な設定だと思われますが、戦時下の沖縄における集団自決で日本軍の関与がなかったことになっちゃったりする世の中(参考:沖縄タイムス)ですから、絵空事ではすまない設定だと言えるでしょう。
 時間の改変はいく度にも渡って行なわれますが、それは、一人の人間が消えたりするくらいでは全体の流れにはほとんど影響がないからです。それに、時間の改変の結果が必ずしも意図したとおりのものになるとも限りません。時間の改変も必ずしも万能ではありません。そうした時間改変の裏をかくためのSF的アイデアも本書ではいくつか用意されていて、そこもまた読みどころです。
 しかし、確かにそうしたSF的発想の妙はとても面白いのですが、本書の真価はハードボイルドとしての主人公の生き様でしょう。依頼人・被害者・加害者の変化もさることながら、事件そのもの性質すらも時間改変はもたらします。そんな現実においても、主人公は私立探偵としての職業意識(と生活の必要性)から何とかこうにか依頼をこなしていきます。しかし、ときにはそんな職業意識の外にある判断の必要にも迫られます。無数の系列の時間帯が存在しうる世界において、守るべき現実とは、あるべき未来とは一体何なのか? 主人公にとってその答えはとても身近なところにあって、だからこそ苦悩することになります。
 時間改変が頻繁に行なわれるタイムトラベルものといっても、本書では主人公が自由に時間改変を行なえるわけではないので、タイトルとかから想像していたよりは地味な物語でしたが、とても面白かったです。オススメです。
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