『ワンピース』に見るヨコ社会

タテ社会に生きる“ガンダム世代”と、ヨコ社会に住み始めた“ワンピース世代”(日経BP)

 今の30歳代、40歳代のビジネスマンの多くが若いころに影響を受けたアニメ番組として、『機動戦士ガンダム』が挙げられる。そこから、この世代を「ガンダム世代」と呼ぶことがある。
 『機動戦士ガンダム』の世界では、登場人物は地球連邦軍ジオン公国軍のどちらかに所属する。主人公のアムロ・レイ地球連邦軍に所属しているのだが、この地球連邦軍という組織はかなり“腐りきった組織”という設定である。それでもタテ社会という人間関係の規範の中で生きているアムロを始めとする登場人物は、組織内部の矛盾と葛藤しながらも、地球連邦の立場で戦っていく。
(中略)
 一方で、今の若者世代が影響を受けている象徴的なマンガ(が原作のアニメ)が、『ワンピース』である。
 主人公の海賊・ルフィはガンダムの登場人物とは違い、どこかの組織に所属するわけではない。自分と仲間たちの「麦わら海賊団」という組織があるといえばあるが、組織の論理で行動することはない。ルフィの行動原理では、常に仲間が中心にくる。
 ルフィの海賊団に集まってくる仲間たちも、別にルフィを「上」の存在だと考えているわけではない。よくいえばフラット、もっといってしまえば誰もが海賊団の中では自分が一番「上」だと考えていてもおかしくないような、個性の集まりである。
 そして『ワンピース』を読んで育った世代の若者たちは、“とても個性的な自分”を意識しながら、いつも自分の周囲にいる“個性的な少数の仲間”というムラ社会に好んで所属しているのである。

 ちょっと違うかな、と思いながらも参考になりました。
(以下、書き殴り。ご指摘点あればどんどんブラッシュアップしていきます)
 確かに、『ワンピース』には「上下」という人間関係があまり持ち込まれていません。海賊という集団ではあるものの「組織」としては機能していないからです。また、ドラゴンボールなどでよく見られた「修行」という概念もありません。(あれも「教える側」と「教えられる側」という上下関係が存在した)「家族」という上下関係は若干存在しますが、「父親」は超えるべき壁として、祖父は「若者」を躾ける立場としてそれぞれ登場しますが、物語にスパイスを添える程度で直接的に物語には絡んできません。
 とはいうものの、ルフィ海賊団が全くのフラットかというとそうでもないと思います。ルフィというカリスマがあってこそのルフィ海賊団であり、メタ視点をとっぱらって考えても、ルフィが居なくなればこの海賊団は瓦解します。
 フラットな関係の仲間たちはフラットであるが故に、まとめ役が居ないと「組織」として機能しないからではないかと思います。
 実際、終身雇用がなくなり「組織」にしがみつく必要がない現在、嫌な「上司」に怒られ続けるよりは、仕事をしやすい「仲間」が居る環境に移ろうと思う、という流れは時代の必然であると思いますし、一方で「仕事をしやすい仲間たち」という環境は会社という「組織」の中で永続させることは不可能だと思います。
 とはいうものの『ワンピース』を”個性的な少数の仲間”であるルフィ海賊団というベンチャー企業に例え、「海軍」などの「組織」(既存の巨大企業)に立ち向かう物語、ととらえるのには無理があります。
 なぜなら、例えルフィ海賊団が「勝利」しても、「組織」として機能していない以上、ルフィたちが年とって死ねば「海賊団」は存在しなくなるからです。
 「チーム」としての強さと「組織」としての強さは全く別物だと思っていますし、これはビジネスの世界でも一緒かな、と思いました。
 と、こうやって記事を書きながら「ルフィ海賊団」と「三国志」の「蜀」の親和性も感じつつ、「なぜ蜀が天下を取れなかったのか?」について深くつっこめるかも、と思いましたが気力がないので一旦強制終了します。