『青空の卵』(坂木司/創元推理文庫)

青空の卵 (創元推理文庫)

青空の卵 (創元推理文庫)

 ”ひきこもり三部作”の第一作にして著者のデビュー作です。自称ひきこもり(まったく外に出ないわけじゃないし受動的な人付き合いはあるので一般的な意味でのひきこもりとはちと違います)で明晰な頭脳の持主である探偵役の鳥井と、彼の中学からの親友である坂木がワトソン役を努めるシリーズです。いわゆる”日常の謎”に属するミステリという分類になるのでしょうが、かなり湿っぽい物語です。ミステリにおける伝統的形式のひとつである安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)も、現代的な感覚では”ひきこもり”になってしまうのですね(笑)。
(以下、ネタバレじゃないけど長々と。)
 とにかく気持ち悪い(笑)。いや、気持ち悪いというのは作中の二人も多少の自覚はあるのですけどね。とにかく二人の相互依存関係が気持ち悪い。鳥井は過去のトラウマによって人付き合いが極端に苦手になってしまっていて、親友である坂木にのみ心を開いています。坂木は坂木で、独占欲・庇護欲でもって鳥井に対して過保護とも思える接し方をします。坂木は、高校・大学を鳥井と一緒のところを選びますし、職業だって、外出せずにアパートに籠り切っている鳥井(鳥井の職業はプログラマ)の元に通えるように自由の利く保険会社を選ぶという、鳥井を中心とした人生を過ごしています。やっぱり気持ち悪い。
 こんな感じで気持ち悪いのですが、恋愛関係とかそういうのじゃないのは、本書における最初の二つのエピソードで、二人の男性性とか同性愛に対しての考え方とかが割りと冷静に語られる下りから理解できるのですが、それでもというか、だからこそ気持ち悪いです。
 本格ミステリにおいて、探偵役とワトソン役というのは程度の差こそあれ依存関係にあります。そもそも、トリックがプロットの中心にある本格ミステリにおいて、小説としての体裁を整えようとするとキャラクタを使い回すのが楽なわけで、そんなわけでメインの登場人物は固定されがちです。また、人間の”理性”の体現者である探偵役はどうしても気難しい性格になりがちで、そうした人物を軸にストーリーを展開しようとすれば、その理解者にして語り手としてのワトソン役がいた方が便利です。探偵役は理性を、ワトソン役は人間性をそれぞれ担当することで本格ミステリは小説として成り立っているわけです(もちろん、そうじゃないのだってたくさんありますが)。
 しかし、それにしたって気持ち悪い。思えば、本書の冒頭で坂木が、自分の好きな探偵小説として御手洗潔シリーズを挙げていますけど、あれもちょっと気持ち悪さ(ハッキリ言えば同性愛)がありますね。もちろん、あっちはあっちで必然性があるのですが、このシリーズと比較してみるとなかなか面白いと思います。それはさておき、御手洗潔の名前が冒頭から出ていることから、この気持ち悪さが確信犯であることがハッキリします。この依存関係が今後どのようになっていくのか、それがこのシリーズの肝となります。普通は、探偵役とワトソン役の関係というのは変化しません。変化しちゃうとシリーズとして続けていくのが難しくなりますからね。ところがこのシリーズは、本書内でも季節が一巡りして様々な人間関係が作られていって、それによって二人の関係にも変化が生じていきます。
 二人の依存関係の他に本書の気持ち悪さを醸し出している要素として、本書の語り手でもある坂木の性格があります。お人好しではありますがその行動原理である安易なヒロイズムはときどき痛いし、オマケに感動屋さんですぐに泣きます。論理を尊ぶミステリでこんなに涙を流す登場人物も珍しいんじゃないでしょうか。著者名と同じ名前ということでこの人物には著者の考え方みたいなものをダイレクトに感じてしまいますし、きれいごと過ぎると思ってしまう箇所も多々あります。しかしながら、『時計を忘れて森へいこう(プチ書評)』のような青臭さとは違って、気持ち悪さを感じてしまうのがこのシリーズの特徴です(笑)。それというのも上述の依存関係や坂木自身の抱えている”歪み”といったものが滲み出ているからだと思います。ってゆーか、第一話『夏の終わりの三重奏』は結構酷い話です。ハッピーエンドみたいな扱いになってるのが不思議でなりません(笑)。それはないだろ。『秋の足音』はかなり好きです。ドロドロ心理というか、本格ミステリのテーマのひとつである”操り”という観点からも傑作と呼んでいいのではないでしょうか(なお、操りについては『麗しのシャーロットに捧ぐ―ヴァーテックテイルズ(ネタバレ気味プチ書評)』で詳しく語ってみましたのでよろしければどうぞ)。『冬の贈りもの』は暗号ものとして優れた作品です。ありがちが作り物っぽさがないのが良いです。『春の子供』では鳥井の抱えるトラウマの一端が明らかになります。『初夏のひよこ』はエピローグです。
 このシリーズ、巻が進むごとにミステリ的要素は薄れていきますが、一作目である本書はミステリとしても普通に楽しめます(多分)。ただ、このシリーズの本領はミステリとしての謎が解かれたその後に残る人間関係についての問題で、そっちの方を偉そうに語る鳥井の姿には痛々しさも少しは感じなくもないですが、「お前にだけは言われたくない」という思いがどうしても先に立ちます(笑)。他人の問題は解決できても自分の問題は解決するどころか直視できない鳥井と、そんな彼の性格を保障してしまっている坂木と、二人の関係は果たしてどうなるのか? 二作目以降はミステリとしての純度が落ちていくのでコアなミステリファンには正直あまりオススメできませんが、小説として普通にストーリーが気になると思いますし、そこがこのシリーズの人気(?)を支えている部分だと思います。
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