『魔王』(伊坂幸太郎/講談社)

 最近、憲法改正国民投票法案の成立といった問題を頻繁に目にするようになりました。そうしますと、(一応)書評サイトを自認する当サイトとしましては、本書を紹介しておかないわけにはいきません。
 本書は、憲法改正の是非や国民投票法案の内容とかについて、素朴で、だからこそ結構忌憚のないやりとりがされています。決して教条的なものではありませんので、そういう意味ではバランスがとれてはいますが、逆に言えば毒にも薬にもならなくて物足りなく思う人もいるかもしれません。それにしたって、小説というジャンルでこれだけデリケートな政治的課題を扱ってるのも珍しいでしょう。
 とはいえ、本書をそうした社会派小説として紹介するのには正直抵抗があります。本書は2部構成になっていますが、1部『魔王』の主人公である安藤は、突然”ある能力”に目覚めます。彼は、自らの能力の限界を、距離とか効果とか対象とかを論理的に確認してきます。そしてある程度能力を把握できるようになりますと、それで世界を変えてみようと試みます。こんな感じに本書の粗筋を乱暴に書き起こしてみましたが、これで思い出すのは超有名ライトノベルブギーポップ』だったりします。実際、作中のスタイリッシュな会話とか、ときどき折り込まれる音楽話とか、雰囲気的にも結構近しいものがあります。もっとも、『ブギーポップ』の場合は、ときに”セカイ系”の代表作と称されるように、個人とセカイの中間段階をすっ飛ばし、その結果”セカイの敵”としてブギーポップと対峙することになります。比べて『魔王』の場合、”憲法”という極めて”セカイ的”ではありますが、しかしあくまで中間段にあるものに直面します。そして安藤は、それを体現している存在に戦いを挑みます。この戦いもかなりブギーポップ的で、テーマの割には実は若者向けの本なんじゃないかと思います。
 思うに、憲法とは法律の上位に位置する最高規範であるにもかかわらず、その解釈は結構ルーズなのが現状で、その最たるものが憲法9条です。こうした言葉のルーズさの対比として相応しいのが、文字のみで語られる表現手法である小説でしょう。小説の解釈は読み手の数だけあっても構いませんし、誤読も深読みもその人の自由です。しかし、憲法はそういうわけにはいきません。小説というだたっ広い底辺から憲法というピラミッドの頂点まで、多用な解釈を排し誰もが納得の行くものを作り上げることができるのか? 憲法改正が身近なものになりつつ今だからこそ、決して閉鎖的なテーマにしてはならないでしょう。そういう意味で、本書は広く読まれて欲しい本だと思います。

魔王

魔王

ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))

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