民法772条についての私的まとめ

<民法772条>検診など考慮し女児に住民票 東京・足立区

 母親は、今の夫の子として戸籍に登録するため、前夫を巻き込んだ裁判をしようとしたが、前夫から協力的な返事はもらえていない。このため、前夫を裁判の当事者としないで今の夫への強制認知の裁判を起こす方針で、こうした意向を区役所に打診。

 結論から言いますと、強制認知訴訟は有効な解決方法のひとつだと思います(最判昭44・5・29)。ただし、今の夫が裁判で認知することによる出来レース的な解決、というわけには行きませんが、有効は有効です。
 以下、順を追って説明しますが、長いですよー。

第772条 ① 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
② 婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。

【事例】A女とB男は婚姻関係にあったが、しばらくして長期の別居に至った。その後離婚が成立したが、離婚から300日を経過しない期間にA女が別居期間中から交際していたC男との間の子供Dを出産した。

 こうした事例において、まず民法772条2項がありますので、DはBの子であると推定されることになります。つまり、DはBの嫡出子である、ということになります。
 772条の根拠は婚姻中に懐胎した子は夫の子である蓋然性が高いため、という点にあります。ただし、300日という期間は長すぎて早産の場合に対応できなかったり、長期の別居等があった場合にも画一的に前夫との間に嫡出性を生じさせてしまうという問題が以前から指摘されてきました。
 家族法における実親子関係・父子関係には2種類あります。法律上の婚姻関係にある男女から生まれた子を嫡出子、婚姻関係にない男女から生まれた子を非嫡出子と呼びます。(母子関係は出産の事実によってその子との間に嫡出性が認められます。)
 ただし、婚姻関係と生物学的な事実関係とは必ずしも一致するとは限りません。そこで法律にはいくつかの親子関係を切断する方法が定められています。今回の事例のように、離婚から300日以内の出産ではあっても、実際には長期の別居期間がありAB間での子の懐胎が考えられないような場合の子Dは講学上”推定の及ばない嫡出子”と呼ばれています。このような場合には、まず前夫Bから嫡出否認の訴え(774条)を提起することで嫡出性を切断することができます。もっとも、これにはB自身のアクションを待たなくてはいけません。
 そこで次に考えられるのが”親子関係不存在確認の訴え”です。民法上の規定はありませんが、人事訴訟法において定められています。この場合には、Aが子Dを代理する形でBを訴える、ということになります。もっとも、Bが非協力的な態度だと裁判所に来なかったりすることも考えられます。もし来なかった場合、普通の民事訴訟だったら訴えを認めたことになります(=弁論主義)のでAの言い分が通ります。しかし、人事訴訟はそうではなくて職権探知主義、つまり裁判所が職権で事実関係を把握した上で決定を下します。で、この場合に裁判所がBの嫡出性を否認するためには、ぶっちゃけBD間のDNA鑑定を行なうのが一番確実で手っ取り早いです。しかし、それにはどうしてもBの協力が必要です。民事裁判で強制的に証拠を採取する権限は、現行法では認められていませんので、Bが非協力的だと確かに困難が予想されます。そうでなくても、AもBも互いに顔を合わせづらいでしょうしね。
 そこで、Bを経由しない方法が模索されるわけですが、まずCがDをいきなり認知する方法が考えられます。認知は裁判によらずとも届け出によって行なうことができます。しかし、すでに嫡出子であるBをさらに認知することは現行法では認められていません。
 そんなわけで、強制認知裁判(認知請求訴訟)という方法が浮上することになります。つまり、AがDを代理してCに対して認知を請求するわけです。上述したように、人事訴訟は職権探知主義が採用されてますので、AC間の出来レースで認知が認められることはありません。裁判所が事実を確認した上で判断を下すことになります。もっとも、今回の事例ではDは間違いなく事実上はCの子なのでこの点は問題ありません。
 問題は、Bの嫡出性が残ったままこうした訴えが認められるのか? という点です。この点、類似の事例において、前の夫からの嫡出否認の訴えを待つまでもなく実の父親に対する認知請求ができるとした判例があります(最判昭44・5・29)。この判例の年に注目して欲しいのですが、昭和44年です。DNA鑑定といった科学的な親子鑑定の方法が確立されていない時点においてもこのような判断がなされているわけです。現在なら、DNA鑑定によってほぼ確実にDC間の親子関係を確かめることができますし、もし確認できればその裏返しとしてBC間の親子関係の不存在も確認できるわけです。嫡出否認の訴え⇒認知請求というのは二度手間なわけで、認知請求訴訟内で前夫Bの嫡出性の切断を行なっちゃっても問題はないと思います。もっとも、まったく無視するのもまずいのでBに反論の機会を与えることは必要でしょうが。
 で、こうして認知請求が認められますと、DはCの非嫡出子ということになります。この点、分かりにくいかもしれないので補足しますが、男親の場合、その子が嫡出子であるというためには女性と婚姻関係になくてはなりません。そうでない場合はその子は原則他人なわけで、認知によって親子関係が発生しますが、それは婚姻関係に基づいたものではないので非嫡出子ということになります。ちなみに、嫡出子と非嫡出子の違いは、非嫡出子は嫡出子と比べて2分の1しか相続分がないという点にあります(900条4号)。ただし、

第789条 ① 父が認知した子は、その父母の婚姻によって嫡出子の身分を取得する。
② 婚姻中の父母が認知した子は、その認知の時から、嫡出子の身分を取得する。
③ 前2項の規定は、子が既に死亡していた場合について準用する。

ということなので、認知後にAとCが結婚すれば子DはCの嫡出子ということになります。
 しかし、300日という制限がなければ、単純にCの認知によってもっとスムーズに解決するんですけどね。300日という制限の短縮・撤廃が必要なことは間違いないと思います。子供の福祉と母の苦悩ばかりがとかく取り上げられがちですが、前の夫からすれば、自分の知らないところで分かれた妻が知らない男と子供を作って、困ってるから助けてくれと言われても、「俺の知ったこっちゃねー。邪魔する気もねーが協力する気もねー」という気持ちになるのも当然だと思います。そういう意味で、300日という期間は正直誰のためにもなってないと思います。早期の改善が必要でしょう。

 このように、法律上の実親子関係の確定においては、事実関係と婚姻関係とが基準として混在してるわけですが、生殖医療の発達によって法律制定当時では考えられなかった様々な問題も生じるようになってきました。そうした問題に興味のある方には北川歩実『真実の絆(書評)』がオススメですので是非是非読んでみて下さいませませ。

【追記】検察官が民法772条第2項を調べることができなかった事例
 こういうことがあるんですから、772条がいかに不自然な条文であるかということが言えると思います。(もっとも、この検察官はどうかしてると思いますが。)
【2007.05.21追記】離婚後300日特例措置、きょうから市区町村窓口で開始(YOMIURI ONLINE)
 上述の問題について、2007年5月21日から離婚後の妊娠が確認できれば、再婚していれば「再婚相手の子」、そうでない場合は「非嫡出子」としての届出が受理されることになりました。法務省通達による特例措置です。これだと離婚前にすでに事実上の婚姻関係が破綻している状態において再婚相手の子を懐胎した場合などは対象外なので救済範囲は限られたものになるという指摘はありますが、それでもゼロということもないでしょうから一定の評価はするべきなのかもしれません。しかし、法務省という法の遵守がもっとも求められる立場にある省庁が、法律上の問題を通達で解決しようとすることには正直疑問を覚えます。法律に問題があるのなら改正すべきでしょうし、そうしないのであればあくまで法の遵守を促すのが法務省のあるべき姿じゃないでしょうか?