リリカルって何?(『崖の館』と『春待ちの姫君たち』と『文学少女』)

 ”リリカル”って何だろう? ってなことが気になってます。キッカケは、『崖の館』(佐々木丸美創元推理文庫)を読んだからです。
(また無闇に長くなってしまいました。)
 『伝説的傑作、復刊』という歌い文句(←こういうのに弱いんですよ)につられて読みました。涼子という少女の一人称で語られるのですが、この独特の甘い文体に耐え切れず途中から斜め読みを始めたのですが、そしたら思いもかけない展開になって怒涛の展開に一気読みすることになってしまい、こりゃ最初から正座して読まなきゃダメだな、と思った次第なわけです。
 で、巻末の若竹七海の解説で、本書の文体を”リリカル”と表現しているので、一体リリカルって何だろう? と思いとりあえず辞書を引くと、「リリカル=抒情的=自分の感情を述べ表すこと」となっています(by広辞苑)。しかし、およそ小説であれば感情の述べられていないものなどないでしょう。演繹法的思考に挫折したので帰納法的アプローチで攻めてみることにしました。すなわち、定義はさておきまずどんな小説がリリカルなのかという具体例の探求です。
 まず最初に思い浮かんだのが友桐夏です。背表紙にはリリカル・ミステリーと堂々と銘打ってある以上、リリカルなのでしょう。実際、『崖の館』と雰囲気的にかなり近いものを感じます。ちなみに、二作目の『春待ちの姫君たち』は単発ものですしとても面白かったので未読の方にはまずそっちをオススメします。
 あと、野村美月”文学少女”シリーズファミ通文庫)も何となくリリカルな気がします。「『野菊の墓』は摘み立ての杏の味ね」なんてセリフが連発するような物語は間違いなくリリカルと言えると思います。
 ……他には思いつきませんね(汗)。新井素子とか桜庭一樹とか菅浩江とか若竹七海とか、途中まではそれっぽいものは思いつくのですが、それらは最後のどんでん返しとかでその雰囲気を台無しにしてしまってるんですよね(注:全ての著作を読んでの発言ではないです)。ミステリ読み的な分析を試みますと、ミステリにおいてリリカルな雰囲気というのは、意外な結末を演出するための一種の伏線、台無しにされて当たり前のものとして機能してるんだと思います。ですから、最初から最後までリリカルさを維持しているリリカル・ミステリーってかなり貴重な存在だと思います。
 で、話を戻してリリカルとは何ぞや? をわずか3つのサンプル(少な!)から考えなきゃいけないわけですが、少女マンガ的・少女趣味な雰囲気ってのはあると思います。あと、サイコサスペンスぎりぎり、あるいはそのものと言っていいくらい心理面の考察にこだわりますね。その踏み込み具合は、ときには鬱陶しくときには図々しいくらいに、悩み考えます。苦悩の対象自体は理解不能だったりするのですが、そこから派生する苦しみや悩みといった生の感情そのものにはかなり共感できる部分があるのが不思議だったりします。
 てなわけで、リリカル=少女趣味的心理サスペンスってことで一応の結論を出しておきますが、穴ばかりの結論であることもまた承知しています。思いついたことがあったら再度問題提起するかもしれません。
 長々とリリカルについて語ってきましたが、つまり何が言いたいのかといえば、『崖の館』は傑作だということです。クローズド・サークルは古典的な装置ですが、それがリリカルな雰囲気を維持するためにも機能している、というかそれがまず第一義的なものになってまして、ミステリにおけるゲーム性と物語性の両立という課題を見事にクリアさせちゃってるのです。三部作とのことなので、残り2作も要チェックです。
 蛇足になりますが、p143に「二百グラムのお菓子を食べてからすぐに体重を計っても、体重プラス二百グラムにはならない」ってあるんですが、これが私にはすごい疑問です。そのすぐ後に浮力っていう説明がついているのですが納得行きません。どなたか悩める哀れな文系人間をお救い下さいませませ(ぺこり)。
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崖の館 (創元推理文庫)

崖の館 (創元推理文庫)