号外さんちゃ974号@フジモリ

 20万回のご来訪ありがとうございます。
 web2.0というセカイの中心でアイを叫ぶわけでもなく、クラシックスタイルで好き放題喋っている当「三軒茶屋」が続いていられるのは、ひとえにご来訪いただいている皆様のお陰だと思っています。
 これからも「三軒茶屋」メンバ一同、一層の精進をしてまいりますので、今後ともお引き立くださいますよう宜しくお願いいたします。(深々と礼)
 また、ゲストブックでは当サイトへの御意見やふと思った話題などの書き込みを大歓迎しておりますので、そちらの方もひとつよしなに。

 御礼ばかりで終わらせるのも味気ないので、近日アップ予定の週刊さんちゃの原稿を期間限定で公開します。(以下の記事は週刊さんちゃアップ時に削除します)

 題して、「なぜ人は読書感想(書評)を書くのか?」です。

 多趣味と謳いながらも書評メインのサイトになっている当「三軒茶屋」。
 そこで、書評について思うことをつらつらと書いていきたいと思います。

 第一弾は「なぜ人は読書感想(書評)を書くのか?」です。

 読書感想(書評)を書き、Webサイトに公開する(人に見せる)のには大きく分けて4つの理由があると思います。

(1)未読の方に面白さを伝える
(2)未読の方に警告する
(3)既読の方と感想を共有する
(4)既読の方にさらに面白さを伝える

 まずは(1)について。
 読んで面白かった本、自分の好きな作家の本は一人でも多くの人に読んで欲しい、というのは読み手として自然な心理だと思います。
 「読んで欲しい」ということは対象は未読の人向け。未読の人向けということはネタバレなしで感想を書かなければいけません。
 (1)を目的とした読書感想(書評)は、意外と難しいのではないかと思っています。
 しかしながら、自分の読書感想(書評)がきっかけでその本を手にとってくれること、これは書評する者にとって格別な喜びだと思います。

 次に(2)について。
 このケースはレアですが、ぶっちゃけ「地雷本を読んだから気をつけて!」という警告です。
 ただし評価型の読書感想(書評)などである「面白くなかった」という感想は、「(3)既読者との感想共有」がメインの目的として書かれていると思われますので、業務妨害の意図でもない限り積極的に(2)を目的として読書感想(書評)を書く人は少ないでしょう。
 
 (3)について。
 読んだ感想を他人と共有したい。読後、「面白かった」「つまらなかった」と既読の人と話をしたい。
 この欲求は誰もが持っているものであり、単に感想を語り合うだけでなく、内容について既読の人と一緒に考察したい、などという欲求も当然出てくるでしょう。
 内容の話をする以上、ネタバレになってしまう可能性もあります。(むしろ、ネタバレの部分を語りあいたいという欲求もあるでしょう)
 たまに「ネタバレをするな!」と言う原理派の方もいらっしゃいますが、森博嗣いわく「あらすじ以外に内容に触れることはすべてネタバレ」であり、つまりは読書感想自体がネタバレなわけです。
 自書がネタバレされるのを嫌う作家などは、取材お断りのラーメン屋のごとく「感想お断り」の看板を掲げてみてはいかがでしょうか。

 (4)について。
 例えば読んだ本を考察し、ただ読んだだけでは見逃してしまう伏線を伝えたり、本の「観方」を変え、更なる面白さを伝えることを目的としています。
 「なるほど、そうだったのか!」と再読する楽しみを与える。
 または、邪推権(by新城カズマ)を駆使し、作者の思っても見なかった意図や行間を妄想する。
 一度読んだ本をさらに面白くさせる、または「つまらない」と言われている本の楽しみ方を伝える。
 そういう意味では(1)に通じるところがあるかと思います。
 アイヨシ・フジモリの書評はこのパターンが多いかと思います。

 ちなみに、(5)として「俺はこんなにたくさんの本を読んだんだ!すごいだろう!」という、「本を読んだ『自分』を伝えたい」という目的もあるかもしれませんが、今回の主旨から外れますので除外しておきます。