『フランクを始末するには』(アントニー・マン/創元推理文庫)

フランクを始末するには (創元推理文庫)

フランクを始末するには (創元推理文庫)

 本書は、1999年英国推理作家協会短編賞受賞作「フランクを始末するには」を含む12作品が収録されている短編集です。
 こういう作品集を表現するのに、”奇妙な味”(奇妙な味 - Wikipedia)という便利な言葉があります。江戸川乱歩は本当に天才だと思います。
 とはいえ、どのような作品が”奇妙な味”なのかといえば、かなりの個人差があるようにも思います。変な設定から合理的な結末が生じたり、論理的な展開のはずなのに奇妙な場所に着地してたり、作中の人物と読者の幸福感(あるいは納得度)に齟齬があったり、などなど。そういう意味で、本書は様々な”奇妙さ”を味読することができます。
 「マイロと俺」は”優秀な刑事というのは、事件をつねに純真な目で見る。”(本書p13より)という観点から刑事と赤ん坊(ホントにただの赤ん坊です。「見た目は子供、頭脳は大人」的なお話ではないのであしからず。)とがタッグを組んで捜査をするお話です。「緑」は、おそらく庭というものに対する日本と英米(作者はオーストラリア人ですが)とでは価値観が違う、ということなのだと思います(つまり、いまいちピンとこなかった、ということです・苦笑)。エディプス・コンプレックスの変種」は、とあるチェスプレイヤーが「チェスの実力をあげたいと思うなら、自分の父親を殺すしかありません」(本書p59より)というアドバイスを受けて……というお話です。ちなみに原題は「The Oedipus Variation」ですが、チェス用語としてのバリエーションには定跡からの派生形・変化といった意味がありますので参考まで。「豚」は転倒した価値観を前提としれは当然に導き出される帰結です。「買いもの」は買いものリストだけで成り立っている変化球です。エスター・ゴードン・フラムリンガム」では、「個人的な見解をいわせてもらうなら、ミステリ小説に登場する探偵は、もうすでに出つくしてるんじゃないかな」(本書p136より)という洋の東西を問わない作家の愚痴やシリーズものと作家との関係が、出版界の裏事情という体裁でシニカルに描かれています。「万事順調(いまのところは)」はプロバビリティの殺人ならぬ復讐とでもいうべきお話。「フランクを始末するには」は、死後に発表されるドキュメンタリーや伝記の収入を見込んでいる業界人の依頼で老スターの暗殺を依頼される殺し屋のお話です。「契約」は物語にしないという物語。作品集として、「フランクを始末するには」との対比がどぎついです。「ビリーとカッターとキャデラック」は手段と目的の逆転が本末転倒なお話。「プレストンの戦法」はこれまたチェスを題材にしたお話。チェスの必勝法を発見したという男が迎える栄光と……。チェスや将棋といったゲームに親しんでいる方であれば、本作の犯人(?)の動機に共感できるかたも多いはず(?)。「凶弾に倒れて」は、ある意味で「契約」と相互に補完しあう作品です。
 普通なら書きにくいテーマもあっさりと小説に仕上げる作者の視点からは、ときに単なる社会風刺以上の真摯な問題意識が感じられます。だからこそ、読後に倫理観の揺れを感じると同時に安心感も得られます。まさに”奇妙な味”の作品集です。オススメです。