『矢上教授の午後』(森谷明子/祥伝社文庫)

矢上教授の午後 (祥伝社文庫)

矢上教授の午後 (祥伝社文庫)

現代日本は、絶対に人間が孤であることを許さない、とね。一人で静かにしていたくても、電話は鳴る、どこに行こうと携帯電話で追いかけてくる、いや、昨今はおのれの居所まで突き止められてしまうらしい。それがなんど、東京都下で名実ともに閉ざされた空間が出現し、殺人事件まで起き、その一員に加われた」
(本書p179より)

 本書は、グランドホテルならぬオンボロ大学研究棟で繰り広げられる群像劇です(グランドホテル方式 - Wikipedia)。
 生物総合学部のオンボロ棟では様々な教授や助教や学生たちが様々な研究データを取ったりレポートを作成したり蔵書を読みながらくつろいだりと、それぞれにアカデミックな時間を過ごしています。それぞれが課題に向き合いながら、ちょっとした秘密やしがらみに悩んだりしています。そんな最中に起きた「民族楽器汚損事件」と「表彰状盗難事件」。奇妙ではあるけれど損害もほとんどなければこれといったメリットも考えられず、だからこそ不思議な2つの事件。そんな2つの事件にミステリマニアである矢上教授(教授というのは通称で、実際は非常勤講師)が頭を働かせている頃、思いもよらぬハプニングが起きます。落雷と大雨をともなう夏の嵐の中、オンボロ棟の出入口が開かなくなるというアクシデントが発生してします。しかも、殺人事件のオマケつきです。
 一部の登場人物たちの不自然な動きと、ささいな2つの事件と、そして殺人事件という大きな出来事。そうした事象が様々に干渉し合うことで、登場人物たちの関係性やこれまでの言動の意味が明らかとなっていきます。日常と非日常とのミックスアップともいえる不思議かつ濃密な一日が、大学の研究棟ならではのどこか浮世離れしたユーモラスな語りによって軽妙に描かれています。
 本書の最大の特徴はその構成にあります。目次を見ればわかるとおり、50章という細かい章立てによる語りと場面の切り替えによって、登場人物の内面や事件の構成要素や多面性を無駄なく描いています。巻末の村上貴史の解説で述べられている通り、”複数の謎を複数の視点と思惑と結びつけ、かつ全体の流れのなかに適切に位置付けてピリオドまで導いていく手腕”(本書p389より)には脱帽です。技巧のための技巧ではなく、作品全体の完成度・満足度を高めるための技巧的手法の素晴らしさは特筆ものです。多くの方に読まれて欲しい傑作です。オススメです。