『おやすみラフマニノフ』(中山七里/宝島社文庫)

おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)

おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)

■指揮者はなぜ必要か
指揮者がいないと
金管木管氏ね
木管:弦氏ね
弦楽器:打楽器氏ね
打楽器:金管氏ね

指揮者がいると
金管:指揮者氏ね
木管:指揮者氏ね
弦楽器:指揮者氏ね
打楽器:指揮者氏ね


指揮者はなぜ必要か - アルファルファモザイクより

 本書の主人公は指揮者ではなくてコンマスコンサートマスター - Wikipedia)ですが、なんとなく上記のコピペを思い出したので貼ってみたり(笑)。
 第8回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した『さよならドビュッシー』に続くシリーズ2作目ですが、前作とのリンクはそれほどでもないので、本書から読んでも特に問題はないです。
 プロへの切符をつかむことにつながる秋の演奏会。第一ヴァイオリンの首席奏者(コンマス)の座を射止めた音大生の城戸晶は同じく音大に通う初音とともに練習に励んでいた。しかし、完全密室で保管されていたはずの時価2億円のチェロ、ストラディバリウスが消失するという事件が発生する。いったい誰がなんの目的で? そして、どうやって? 加えて、演奏会に向けて練習を続ける彼らの身にも不可解な事件が次々と発生する。果たして晶たちは演奏会を無事に乗り越えることができるのか? そして事件の真相は……? といったお話です。
 前作同様に音楽ミステリではありますが、殺人事件ではなく楽器の消失がメインの謎ということもあって(とはいえ、時価2億のストラドの消失というのは庶民の感覚では一大事ですが)、ミステリ色はそれほど強いものではありません。というか、ぶっちゃけ音楽小説です。詰め込みすぎじゃないかと思うくらいに、音大生の生活と苦労と現実と障害とトラブルと、そして音楽を演奏することの喜びが描かれています。
 本書は2010年に単行本で刊行された作品の文庫版です。ゆえに3.11を受けたものではありません。ですが、巻末の仲道郁代の解説でも触れられているとおり、作中の集中豪雨による避難所での混乱した状況の中で主人公たちが音楽を演奏する場面での、

「科学や医学が人間を襲う理不尽と闘うために存在するのと同じように、音楽もまた人の心に巣食う怯惰や非情を滅ぼすためにある。確かにたかが指先一本で全ての人に安らぎを与えようなんて傲慢以外の何者でもない。でも、たった一人でも音楽を必要とする人がいるのなら、そして自分に奏でる才能があるのなら奏でるべきだと僕は思う」
(本書p241より)

というセリフは、圧倒的で無慈悲な大災害に際し、芸術や娯楽といった分野に携わる者がいかにあるべきかにということについて考えさせられます。前作は個を確立するため独奏に挑むピアニストの姿が描かれていましたが、本書で描かれているのは合奏です。それゆえに、個性を発揮するだけでなく、周囲とどのように関わっていくかという姿勢がより積極的に問われることになります。
 本書は基本的に音楽小説です。なので、ミステリとしての比重がそれほど大きいとは思いませんし、楽器消失のトリックも決して褒められたものではありません。ですが、だからといって、本書がミステリであることの必然性がないというわけではありません。ミステリという体裁によって、音楽家という生きものの合理的が語られます。合理的であることは必ずしも現実的であることではありません。換言すれば、その世界にはその世界の常識があります。そんな音楽家としての合理性を語るための手法として、ミステリとしての物語展開が機能しています。特に最後に語られる真犯人の動機は、世間一般の見方からすれば非常識なものでしょう。ですが、真犯人にとってみれば合理的なものです。そうした世間と音楽家の常識の乖離を効果的に描くために、ミステリであることが必要なのだといえます。前作同様ミステリ読みのみならず多くの方にオススメしたい一冊です。
【関連】『さよならドビュッシー』(中山七里/宝島社文庫) - 三軒茶屋 別館