『探偵術マニュアル』(ジェデダイア・ベリー/創元推理文庫)

探偵術マニュアル (創元推理文庫)

探偵術マニュアル (創元推理文庫)

「つまらん言い訳はしなくていい。探偵が少しばかり自分の秘密を持つのはいいことだ。『マニュアル』の百三十五ページにそう書いてある」
(本書p17より)

 〈1 尾行について〉〈2 証拠について〉〈3 死体について〉〈4 ヒントについて〉〈5 記憶について〉〈6 手がかりについて〉〈7 容疑者について〉〈8 監視について〉〈9 文書について〉〈10 潜入について〉〈11 はったりについて〉〈12 尋問について〉〈13 暗号について〉〈14 強敵について〉〈15 いかさまについて〉〈16 逮捕について〉〈17 解決について〉〈18 夢監視について〉といった章題と、『探偵術マニュアル』というタイトルからして、初心者にも優しいハードボイルド調のミステリかと思ったら、それはそれで間違ってはいないのですが、でも全然違いました(どっちやねん・笑)。あるいは、突然の転勤を言い渡された中年サラリーマンの悲哀と決意の物語とも読めますが、案外そうした読み方がセオリーなのかもしれません。
 主人公のアンウィンは〈探偵社〉に勤める記録員。ところがある日突然、探偵への昇格を命じられる。戸惑う彼に与えられたのがハードカバーの薄い一冊の本『探偵術マニュアル』。抗議のために上司の部屋を訪れるも、そこでアンウィンが発見したのは彼の死体で……。といったお話です。
 探偵とワトソン役、あるいは記録員というのは強固に完成した関係にあります。20年の間〈探偵社〉で記録員としての仕事に従事してきたアンウィンがそうした立場に依存し甘んじてきた、と評すのは酷で、なにしろ彼はとても有能な記録員で、裏方としてはとても優秀です。なればこそ、突然の探偵への昇格に彼は納得がいきません。ですが、現実はときに不条理なものです。そもそも、現実とはいったい……? 謎の失踪。謎の事件。そして謎の女。ハードボイルド調のリアリスティックな展開でありながら、物語は徐々にファンタジー(あるいはSF)としての姿を徐々に見せ始めます。ミステリでもありファンタジーでもあるジャンル横断的な作品です。
 記録員から探偵へ。そして、ミステリからファンタジーへ。眠り病の助手と共に事件に挑むアンウィンにとって、これまで当たり前だと思っていた世界が徐々に曖昧でおぼろげなものとなっていきます。はたしてこれは夢か現実か。主人公の役割と、ジャンル的フレームとがあえて曖昧なままの本書において語られているのは”変化”なのだと思います。すなわち、読者から登場人物への変化、です。本書はメタといえばメタな作品ですが、しかしそれは形而上ではなく形而下への誘いを描くためのメタだといえます。決して小難しいお話というわけではありませんが、独特な読み口が味わえる不思議な作品です。オススメです。