『傍聞き』(長岡弘樹/双葉文庫)

傍聞き (双葉文庫)

傍聞き (双葉文庫)

想像ですね。私、取材は嫌いなんですよ(笑)。本を読んだりテレビをちょっと見たりはしますが、取材はしませんね。私としては、取材をして人から話を聞いたり本から得た情報をそのまま書くよりも、作家は事実と少しくらい違っていても、自分の頭で想像すべきではないかと思うんです。調べることに時間をかけるよりは、作品に出てくる人間の行動や、その職業ならではの出来事を想像するほうに、私は時間をかけますね。
『BOOKトピックス』vol.4 『傍聞き』長岡弘樹氏〜アイデアのもとは「なるほど!」と思うこと〜 - さくらんぼテレビより

 第61回日本推理作家協会賞短編部門受賞作「傍聞き」を含む4編が収録されている短編集です。
 「迷走」は救急隊員、「傍聞き」は女性刑事、「899」は消防士、「迷い箱」は受刑者の更生保護施設長。どの作品も、社会的に重要な役割を担うプロの職業人が主人公となっています。主人公たちは高いプロ意識で仕事に向き合っていますが、その一方で、家庭内に悩みを抱えていたり、内心では自らの果たす役割に限界を感じていたりしています。そんな公人としての役割と私人としての役割の間でぶれたり迷ったりしている人たちが、それぞれの事件を通じて自らの人生を見つめなおす。ミステリとしてだけでなく人間ドラマとしても秀逸な作品集です。

迷走

 目の前に生死の境を彷徨う患者がいても法律上は限られた応急装置しか行えない。人員は常に不足。タクシー代わりの不正利用も後を絶たない。そして救急搬送時の病院のたらい回し。そうした様々な問題を端的に描きつつ、作中内の救急車は患者を収容したまま迷走することになります。最初は受け入れ先の病院を求めて。しかし、病院からの受け入れ準備完了の連絡が入った後も、救急車は隊長の命令によって迷走を続けます。いったいなぜ?疑問を抱えたまま、蓮川は患者への話し掛けを続けることになります。「呼びかけ」に思わぬ意図が込められている傑作です。

傍聞き

「知ってるわけないか。だったら『傍聞き』なんて言葉も初耳よね。――いい? 例えば、何か一つ作り話があるとするじゃない」
「うん」
「それを相手から直接伝えられたら、本当かな、って疑っちゃうでしょ」
「そりゃね」
「だけど、同じ話を相手が他の誰かに喋っていて、自分はそのやりとりをそばで漏れ聞いたっていう場合だったらどう? ころっと信じちゃったりしない?」
(本書p68より)

 伝えたいことがあるのなら直接伝えて欲しいという思いと、『傍聞き』だからこそ伝わる思いと。思うに、小説や物語自体が一種の『傍聞き』のようなものですが、そんな『傍聞き』によるコミュニケーションの手法を巧みに活用しています。「真相に至るキーワードを堂々と題名に掲げながら。なお読み手を欺く腕前に感服した。」という有栖川有栖の講評どおりの傑作です。

899

 899は「要救助者」を意味する符牒です。燃え盛る炎の中、要救助者を助ける過程に起きたある出来事。消防官としての職責と人を救うことの意味が問われる秀作です。

迷い箱

 犯罪小説は数あれど、犯罪者の厚生施設が舞台の作品は珍しいと思います。ミステリ色は強くはありませんが、迷いの中に罪と償い、救いと赦し、そして生きること……。本書全体にいえることですが、私あっての公、そんなことを思わせる作品です。