これぞ、西尾維新。『少女不十分』

少女不十分 (講談社ノベルス)

少女不十分 (講談社ノベルス)

戯言シリーズ」「化物語シリーズ」、はたまた「めだかボックス」の原作で知られる、西尾維新の最新作です。

 西尾維新です。
 お久しぶりです。
 新刊『少女不十分』が出版される運びとなりましたので、ご挨拶させていただきます。
 講談社ノベルス
 書き下ろし!
 こうなると自然気持ちも昂(たかぶ)ろうというものです。テンション上がります! いやタイトルから察するに、あんまりテンションが上がるタイプの本ではなさそうな気もしますが……まあ今の時代なかなか難しいことですけれど、できる限り前情報なしで読んでいただきたい本ですので、ここでは多くは語りません。まっさらな気持ちで楽しんでいただければ、作者としてとても幸いです。
講談社メールマガジン『ミステリーの館』2011年9月号より)

 とあるとおり、できるだけピュアな状態でこの本を読んでいただきたいのですが、それではこの書評が成り立ちませんので(笑)、内容にさらりと触れながら書評していきます。
 西尾維新といえば、現在では「化物語シリーズ」の大ヒットが示すとおり、個性的なキャラクタと「小説」という媒体をフルに活かした巧みで洒脱な言葉遊びが特徴の小説家です。
 しかしながらフジモリは、「戯言シリーズ」に顕著に見られるとおり、「それだけで短編一冊書けそうな」キャラクタを容赦なく殺す(使い捨てる)贅沢な作風や、「きみとぼくシリーズ」に代表される、「ミステリに造詣があるが故の”あえて外す”ミステリ」といった作品も美味しくいただいています。
 そんななか今回刊行された『少女不十分』。

 西尾維新、原点回帰にして新境地の最新作。
 「少女」と「僕」の不十分な無関係。

 とありますが、端的にあらすじを言うと、現在小説家である「僕」が10年前に少女に○○された、という回想のお話です。
 タイトルの『少女不十分』はもちろん「証拠不十分」のもじりであり、登場人物は「僕」と「少女」以外ほとんど出てきません。
 主人公である「僕」の冗長な語りにより話が進められますが、最初はその冗長な語りがやや苦痛で何度か本を閉じかけました(笑)。
 しかしながら物語が進むにつれて一気に引きずり込まれ、気がつけばあっという間に読み終わっていました。
 主人公である現在小説家の「僕」は、「京都在住」「20歳でデビュー」など、この本の作者である西尾維新を模しており、読者にも同一視させるよう仕向けています。作者の情報を知っていれば知っているほど同一感は増しますし、そういう意味ではある程度作者が「キャラ化」しているからこそ書ける作品なのだと思います。
 自叙伝的な作風で物語は進んでいきますが、読んでも読んでもこの作品が「どこに向かっているのか」がなかなか見えてきません。西尾維新の作品をたくさん読んでいる人ほど、その作風のぶれ幅を知っていますので、「虐殺ジェノサイド」になるのか「特殊能力バトル」になるのか「ド直球ミステリ」になるのかと不安定な気持ちになっていくと思います。
 そういった読者の心を弄ぶかのように裏をかき、見事なまでに鮮やかに着地します。
 読者によってこの作品の受け取り方は異なると思いますが、フジモリは「良質なミステリ」として美味しくいただきましたし、読了された方ならフジモリの感想に同意していただけるかと思います。
 当然ながら西尾維新の作品を読んでいなくても楽しめますし、読んでいればいるほどさらに楽しめる一冊。『バクマン。』で言うところの、まさに「1話完結でない1話完結」と呼ぶのにふさわしい小説です。
 物語そのものは派手さは無い、むしろ地味なお話でしたが、「これぞ西尾維新、これが西尾維新」と思った一冊でした。ごちそうさまです。
(以下、蛇足気味に既読者向けに感想を)
 例えば『クビキリサイクル』など、読者が読了後(あるいは読中)に気づくダブルミーニングを込めるタイトルがありますが、この『少女不十分』もまたしかり。「証拠不十分」であり、また「少女不自由分」であった物語でした。
 そしてまた、良質なミステリ、言葉を補いますと、良質な「ホワイダニット」の物語であったと思いました。