『これからの正義の話をしよっ☆』(早矢塚かつや/一迅社文庫)

これからの正義の話をしよっ☆ (一迅社文庫)

これからの正義の話をしよっ☆ (一迅社文庫)

「個々人の生きる意味を誰かがとやかく言うことなんてできない……けど、社会の目標は、いずれ決めなくちゃいけないと思う。集団が好き勝手なことを言っているんじゃなくて、集団として、どのような未来を望むのか。何を第一目的とするのか。経済の右肩上がりか、もっと慎ましやかな種の保存か。
 一人一人が己の正義を語る混沌では、集団においては何の意味もなさない。だから、ある程度の秩序を持たせて共通する正義や道徳を考えていくべき……というのが、ボクの回答」
(本書p56より)

 三照*1高校が舞台、などということをわざわざいわずとも、タイトルからしマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(以下、『これ正』)のパロディであることは明らかです。作中でのゾンビ話や同性愛についての議論などは、『これ正』の中でも考察の対象となっている問題です。
 とはいえ、『これ正』をパロりつつ”正義について考える”お話ではあるものの、中身自体は『これ正』にそれほど依存してはいません。メインテーマである「バレンタイン中止のお知らせ」問題は本書独自のものです。逆にいえば、『これ正』のパロディを標榜しつつも『これ正』の内容を消化しきれてないともいえます。なので、『これ正』の解説や補助線としての役割を期待したり、あるいは『これ正』のパロディとして過度の期待を抱いて本書を読むとガッカリすること請け合いですのでご注意を。
 バレンタインは正義か否か。バレンタインをやりたい理由とやりたくない理由。男の子にとってバレンタインとは何か?バレンタインにチョコをもらえない男の子の気持ちは?チョコをあげる側である女の子の気持ちは?などなど。問題意識としてはなかなか面白いですが、どちらかといえば議論が勝ちすぎていて物語性に欠けるのは否めません。結果として、『これ正』のパロティとしてもラノベとしても中途半端なものになっています。
 強いて『これ正』と関連づけて本書を読み解くとすれば、『これ正』で説かれているのはベンサムに代表される全体の最大幸福を正義と考える「功利主義」と、ロールズに代表される個人の自由と平等を重視する「リベラリズム」を正義と考える立場などを紹介しつつ、共同体にとっての「共通善」、すなわち「コミュニタリアニズム」を「これからの正義」として考えるものだといえます。その上で、「功利主義」へのオーソドックスな批判である個々の権利の軽視という論点を、本書においては「バレンタイン中止令」に投票権を持つ13人の意思を問題にするというかたちで個々の権利というか意思を浮かび上がらせることで「功利主義」と相対させつつ、さらに生徒会長としての権利行使の機会をここぞとばかりに活用する鷲座を主要人物の一人とすることで「リベラリズム」の問題も浮かび上がらせて、その中で「これからの正義」を模索するという構図になっている……と無理やりまとめることもできなくもないですか(苦笑)。
 基本的に『もしドラ』のヒットに想を得た二番煎じ的一発ネタ本です。それをこのように書籍として完成させたという一点において、呆れながらも感心せずにはいられません。なので、あくまでネタとして受け取って、構えることなく広い気持ちで読むのが吉だと思います。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

*1:読み方は「さんしょう」ですが。