『奥ノ細道・オブ・ザ・デッド』(森晶麿/スマッシュ文庫)

奥ノ細道・オブ・ザ・デッド (スマッシュ文庫)

奥ノ細道・オブ・ザ・デッド (スマッシュ文庫)

「この旅で詠んだ句は、やっぱりいずれ一冊にまとめるの?」
「この世界を救うためには、そのほうがいいかもな」
「救うために?」
「世界の美意識が五・七・五の限られた語で記録される。詠む者の頭の中で、世界が復元されればそれでいい」
「そんなの、救ったって言わないよ、せんせぇ」
「命あるものはいずれ滅びるが、失われた世界は滅びることがない。あや解き終り」
(本書p198〜199より)

 いきなりネタバレから入りますが、駄目だこいつ……腐ってやがる(←なぜこれがネタバレなのかは既読の方には分かるはず)。
 第一回アガサ・クリスティー賞受賞作家としてミステリ読み的に注目の作家・森晶麿のデビュー作である本書は、おくの細道(おくのほそ道 - Wikipedia)+バイオハザードというとんでもないお話です。オビには「古典×サバイバルホラー 誰も見たことがない元禄パンク!!」とありますが、まさにその通りの内容です。
 時は元禄、徳川吉綱の時代。江戸の町に突如として大量の「屍僕」が出現する。口から涎をたらし、人の生肉を食らい、おどろ歩きをする「屍僕」。側用人柳沢吉保は「屍僕」発生に関わっていると思われる伊達藩を調査するように俳諧師松尾芭蕉に命じる。かくして松尾芭蕉とその弟子・曾良との旅が始まるが、それはまさに血で血を洗う旅で……といったお話です。
 先に「とんでもないお話」と書きましたが、行く先々の名所を巡ってはきちんと俳句を詠んでます。なので、きちんと「おくの細道」しています。また、本書の主人公の一人である松尾芭蕉松尾芭蕉 - Wikipedia)は”忍”(実はちょっと違う)のですが、松尾芭蕉にはそもそも隠密説があるくらいなのでそんなに変な設定ではありません。ですので、口から火を吹いたりしても別に驚くようなことではありません。「屍僕」が徘徊する様は「徘徊師」からの連想だろうなぁと思うのですが、それもまたどうってことはありません。風流に触れると「俳人」ならぬ「廃人」となりますが、それもまた愛嬌というものでしょう。
 弟子の曾良が中性的な容姿で姉の化粧と衣装をまとって、いわゆる「男の娘」の姿で旅をしているのもこの時代の風俗的にとんでもないことかもしれませんが、これまた些細なことです。というか、冒頭の柳沢吉保とのやりとりや旅路での松尾芭蕉との一連の会話や放置遊戯などなど。本書はそういう腐った雰囲気がに満ちてます。ですが、それが意外とバイオハザード的な世界観と相性がよくて、というのも「屍僕」たちは当然のことながら有性生殖によることなく増えていきますから、そうした生死のあり方が男女という性の区別すらも曖昧なものにしていく……などといったら、深読みが過ぎますか(笑)。はたまた、生や死というのはつまるところ遺伝子(ジーン)の伝達ですが、一方で俳句というのは意伝子ミーム)の伝達だといえます。そんな遺伝子と意伝子の関係を詠うのが本書の意図するところ……などといったら、これもまた深読みが過ぎますか(笑)。
 とにもかくにも、生者と「屍僕」と出会っては別れ殺し殺されのロードムービー小説です。シンプルにいかれたお話として読むのが吉で、そんな風に気楽に読みながらもところどころに挿まれる俳句の存在によって何となく風流な気持ちに浸れます。明らかに万人向けのお話ではないのでオススメとはいいかねますが、興味のある方は是非。