『ジョーカー・ゲーム』(柳広司/角川文庫)

ジョーカー・ゲーム (角川文庫)

ジョーカー・ゲーム (角川文庫)

「忘れるな。ここはスパイ養成学校だ。この連中はここを出た後、世界各地に散らばって、自らを”見えない存在”としなければならない。(中略)十年、二十年……あるいはもっと長く、見知らぬ土地にたった一人で留まり、その地に溶け込み、”見えない存在”となって、その国の情報を集め、本国に送る仕事に従事することになる。誰にも自分が何者なのかを知られず、状況が変化しても誰とも相談することができない。スパイがその存在を知られるのは、任務に失敗したとき――即ち敵に発見された時だけだ。失敗しないためには一瞬の気の緩みも許されない。それがどんな生活なのか、貴様に想像できるか?」
(本書p27より)

 本書におけるスパイの目的は、「敵国の秘密情報を本国にもたらし、国際政治を有利に進めること」にあります。そんなスパイの情報戦は、ゲームの目的自体はシンプルでありながら、ルールも定跡もあってないようなものです。そんなゲームを勝ち抜き生き残るためには、自らを”見えない存在”としなければなりません。ですが、それは極めて困難な問題です。なぜなら、自己とか自我といったものは他者との関係性によって往々にして成り立つものだからです。他者に依存することなくスパイとしての自らの人格を維持し続けていくのか。理性の限界が試される苛酷な任務だといえますが、そんな苛酷な任務に生きるスパイたちの生き様を抜群のエンタメ作品として描き出しているのが本書です。
 本書にはジョーカー・ゲーム」「幽霊(ゴースト)」「ロビンソン」「魔都」「XX(ダブルクロス)」の5編が収録されています。表題作であるジョーカー・ゲームでは、陸軍中尉である佐久間の視点から、スパイ養成学校”D機関”の特異性と、スパイ候補生たちの優秀性が語られます。死を恐れず相手を殺す集団であることを大前提としている軍隊にあって「殺人及び自決は最悪の選択」とするスパイの異質さ。拠るべきものは自らの頭で考えたことのみ。そんなスパイに求められる資質はミステリ的筋立てと非常に相性がよいです。誰一人信じることができないからこそ自らを信じるほかない。そんな語り手たちによる物語は、逆説的ではありますが、読者にとっては信頼できる物語となっているところが面白いです。幽霊の正体見たり枯れ尾花、とはいかないのが「幽霊(ゴースト)」です。ときには幽霊よりも正体のほうが恐ろしいことがあります。まさに「内なる物語」が試される「ロビンソン」。「魔都」と変換しようとしたら「的」と変換されてしまいましたが、あながち間違いとはいえなくて、内通者が誰かを見つけ出すフーダニット・ミステリ「魔都」。そして”見えない存在”であるべきスパイが自らの心理的盲点を試されることになる「XX(ダブルクロス)」。裏切りを意味するXが二つ重なっているタイトルの意味は果たして……?と、どの作品も十分な知的刺激に加え感情をも揺さぶってくる上質なお話ばかりです。紛うことなき傑作として広くオススメしたい一冊です。
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