『犯人に告ぐ』(雫井脩介/双葉文庫)

犯人に告ぐ〈上〉 (双葉文庫)

犯人に告ぐ〈上〉 (双葉文庫)

犯人に告ぐ 下 (双葉文庫)

犯人に告ぐ 下 (双葉文庫)

「私も失敗するつもりはありません。だけど、迎合するつもりもない。相手はマスコミではなく、その向こうにいる市民、そして犯人です。それが飛んでしまうと、どうやっても失敗する。私が六年前に学習したことです」
(本書上巻p207より)

 第7回大藪春彦賞受賞、2004年「週刊文春ミステリーベストテン」国内第1位受賞作品。
 川崎市で起きた連続児童殺害事件。捜査に行き詰った神奈川県警は、現役捜査官をテレビのニュース番組に出演させるとという荒業、「劇場型捜査」を行うことを決断する。選ばれたのは、6年前の誘拐事件の際にマスコミの前で失態を演じ失脚した巻島史彦警視だった。史上初の「劇場型捜査」の結末やいかに……といったお話です。
 一見すると犯人探しが軸となっているように見えるお話ですが、実際には巻島が過去に失敗した6年前の誘拐事件にしても今回の「劇場型捜査」にしても、マスコミというか公と私のあり方・結節点が本書の最も大きなテーマだといえます。なので、ミステリとして過度の期待を本書を読んでしまうと拍子抜けされてしまう恐れがありますのであしからず。とはいえ、サスペンスとしては十分以上の面白さですから、おおらかなミステリ読みであれば読んで損することはないでしょう。
 本書のタイトルでもある「犯人に告ぐ」という呼びかけは、通常は人家などに立てこもった犯人を包囲した際に投降を呼びかけるときの言葉です。ところが、本書の場合は少し違います。正体不明の連続殺人犯に対し、マスコミ(テレビ)という劇場の舞台に立つことを期待しての呼びかけ。それが「犯人に告ぐ」です。そもそも本書は2004年に単行本版で刊行されたものですが、もしもう少しあとに刊行されていたらテレビではなくニコニコ放送などのより双方向性の強いメディアが選ばれていたかもしれません。
 政治学などでマスコミは立法府・行政府・司法府と並ぶ第4の権力などと呼ばれることがあります。それくらい大衆に対して絶大な影響力持っているわけですが、その影響力を支えていたものとして情報の一方性を挙げることができるでしょう。ですが、時代は変わりました。インターネットの発達によるIT革命は市民不在のマスコミへの不信がネット上で多く叫ばれるようになりました。情報を入手する手段としてマスコミからの情報以外のネットを利用したルートが用いられるようになり、マスコミにしてもデジタル化による双方向化を模索するようになりました。また、マスコミによる編集を嫌う政治家などがニコニコ生放送などを利用して独自に情報を発信するようになりました。ニコニコでは一般視聴者も気楽に自らの意見を発信することができます。
 そんなわけで、かつては「第4の権力」と揶揄され公共性が強く求められていたマスコミも、現代では公と私とが双方向する場としての機能を有し始めているといえます。そんな場としての存在、「劇場」性を犯罪小説の手法によって巧みに表現したものが本書だといえるでしょう。
 「公共哲学」という考え方があります。簡単にいえば「公私二元論」からの脱却、つまり公と私中間概念として「公共」を唱える考え方ですが*1、マスコミもこうした公共哲学でいうところの「公共」としての性格が強く求められるようになるのかもしれません。もっとも、公共といっても必ずしもそれで公私の問題が何もかもうまくいくわけではありません。本書で描かれているとおり、それは公の論理と私の欲望とがごちゃごちゃになったドロドロした場です。たくさんの人がいるのに誰にも理解されない孤独な舞台です。それでも、公私という単純な二元論の割り切りによって切り捨てられたり無視されたりする思いや可能性を拾い上げる場として。必要性はあるように思います。単純に「警察の論理」だけを謳うものではない警察小説としてもオススメです。