『賢者の贈り物』(石持浅海/PHP文芸文庫)

賢者の贈り物 (PHP文芸文庫)

賢者の贈り物 (PHP文芸文庫)

 本格ミステリでは真相にもっとも意外性を持ってくるケースが多い。けれども、石持作品の場合、登場人物たちの奇抜でロジカルな思考の方に意外性があるため、抵抗を覚える人が出てくるのかもしれない。だが、破天荒さと同時に、緻密に計算された隙のない論理が全面的に押し出されるので、地に足のついた説得力が伝わってくる。このギャップ感が、時折「キワモノ」とも呼ばれる石持作品の魅力でもあるのだ。
本書巻末所収解説(羽住典子)p310より

 本書には、誰もが聞いたことのある童話や小説といった寓話をモチーフにした短編ミステリが10話収録されています。すなわち、「金の携帯 銀の携帯」は「金の斧 銀の斧」。「ガラスの靴」は「シンデレラ」。「最も大きな掌」は「黄金の林檎」。「可食性郵便」は「やぎさんゆうびん」。「賢者の贈り物」はO・ヘンリの同名短編「賢者の贈り物」。「玉手箱」は「浦島太郎」。「泡となって消える前に」は「人魚姫」。「経文を書く」は「耳なし芳一」。「最後のひと目盛り」はやはりO・ヘンリの「最後の一葉」。「木に登る」イソップ童話「旅人と熊」です。
 解説で「キワモノ」という評価が紹介されてて、試しに「石持 キワモノ」でググってみると確かにいくつかHITするわけですが(苦笑)、私自身としては、ちょっと変かも? とは思いますが、「キワモノ」は少々言葉が過ぎるオーバーな表現のように思っています。
 IQからEQ、などといわれることがあります。EQといってもエラリイ・クイーンのことではありません(←ミステリ読み的寒いギャグ)。「Emotional Intelligence Quotient」のことで、「心の知能指数心の知能指数 - Wikipedia)」などと呼ばれたりします。身も蓋もない言い方をすれば、「頭より心が大事」ということになるのでしょうが、生憎と私自身の生活において心の持ち合わせが少々足りないのではないかと思うことがあったりなかったりします。そんなときは、ない頭をフルに使って考えることで、正しい心のありようを模索することになります。石持作品にはそうした、頭を使うことで心をみつけ出す、といった傾向があって、それが私のようなものには心地よく思えることがままあります。石持作品を何の躊躇いもなく「キワモノ」と評することができる人は、おそらくは他人とのコミュニケーションに不安を感じたことのないEQの高い方なのでしょう。ですが、私のようにEQが極めて低い人間にとって、石持作品にはときに親しみすら覚えます。……などといった捉え方はどうやらかなり少数派のようなのでご注意を(苦笑)。
 どちらかといえば、本作のモチーフである寓話がEQ寄りの物語なのに対し、そのアレンジによって生み出された本書ミステリ短編群はIQ寄りの物語だといえるでしょう。殺人といった物騒な事件とは無縁という意味では「日常の謎」といえますが、寓話をモチーフとしているだけあって、そこはかとなく空想めいた雰囲気も醸し出しています。そんな雰囲気が思考を上滑りさせて加速する効果を生み出しているように思います。素直な考えや行動を採らずに迂遠な考えや行動によって、ときに問題をこじらせ、ときに無駄な時間を費やす登場人物たち。ですが、それもまた人々の日常的な姿じゃないかと思うのです。
 どちらかといえば地味な謎から始まって、それほど意外性のない真相に着地することもあれば、真相が明示されないまま物語が閉じてしまうこともあります。そういう意味ではミステリ性は希薄です。ですが、考えることの楽しさを教えてくれるという意味では紛れもないミステリです。
 ちなみに、巻末の解説では「磯風さんを同一人物とみなして時系列的に並べてみる」読み方が提示されています。私的には作品間での「磯風さん」のイメージにいくつか齟齬を感じたので、積極的にそうした方向での深読みを進める気にはならないのですが、そうした読み方を試してみるのも一興かもしれませんね。