『いたって明解な殺人』(グラント・ジャーキンス/新潮文庫)

いたって明解な殺人 (新潮文庫)

いたって明解な殺人 (新潮文庫)

 モンティとアダムの兄弟。両親を事故で失ったのち二人は叔母の家の地下室で暮らしてきた。それから時は流れ、アダムは妻を殺害した罪に問われ、その弁護を兄であるモンティが担当していた。公判最終日。最後の証人として証人席へ上がったアダムは、「あなたは妻を殺害しましたか?」という兄からの質問にこう答える。「いいえ。私は妻を愛していました」……という裁判の場面から始まる本書は、地下室のイメージそのままの心に暗闇を抱えた人物たちが引かれ合い苛み合うサイコサスペンスであり、あるいは嘘と真実が錯綜する法廷小説であり、あるいは周到に仕組まれたミステリでもあります。それでいて、ストーリー自体はそんなに入り組んだものではありません。タイトルどおり「いたって明解な殺人」です。
 本書は3部構成ですが、その構成は巻末の訳者あとがきでも述べられているとおり特異な構成となっています。第1部で描かれているのは、アダム・リーとその妻であり被害者である妻レイチェルとの、知的障害を抱えた息子アルバートを挟んだ異常な夫婦関係です。地下室で育ち兄の存在に縛られているアダムと、常軌を逸した嫉妬心に駆られ自傷行為を繰り返し薬物とアルコールに溺れるレイチェル。そうした関係が淡々とした文体と小刻みな場面転換によってリズミカルにテンポよく語られます。そんな読みやすさが逆に寒々しさを際立たせている秀逸な心理サスペンスです。
 第2部では、過去に検事局の犯した失態の責任を問われ失脚した下級検事補レオ・ヒューイットが、事故死として処理されようとしたレイチェルの死にふとした疑問を抱き失地回復のために捜査を開始します。法廷には法廷の、検事局には検事局の政治学があります。個人的には間接正犯(【参考】間接正犯 - Wikipedia)のような線での検討が甘いのが気になりますが、リーガル・サスペンスとして非常に興味深い内容となっています。
 第3部では、妻レイチェル殺害の容疑で訴追されたアダムと、彼の弁護をすることになったモンティ。検事局側の屈折した政治力学と、これまで張られてきた伏線の意味が明らかとなり、物語は劇的な展開を見せます。そして、「いたって明解な殺人」の真実。ミステリとして非常に読み応えのある内容と余韻の残る結末が待っています。
 このように本書はストーリーが3通りに変化するという構成になっているのですが、そのどれを取っても中途半端なものに終わってはいません。3つのうちのいずれかが好きなかたであれば本書全体を通して満足できます。ただし、訳者あとがきで、内容が暗い・肩入れしたくなる登場人物がいない、といったことを理由に当初は出版を何社からも断られたというエピソードが紹介されていますが、そうした評価は決して的外れなものではありません。それでも、アダムがレイチェルの闇に惹かれて結婚したように、本書のような闇に惹かれるタイプの読者もきっといるはずです。そうした方にはぜひともオススメしたい一冊です。