『パニッシュメント』(江波光則/ガガガ文庫)

パニッシュメント (ガガガ文庫)

パニッシュメント (ガガガ文庫)

「神を求めている人間に、神を紹介する。そういう仕事だよ、私の仕事は。……そして今更私が、それは全部嘘だ、神なんていやしないから、自分一人でどうにかしろと言ったってどうにもならない。……何しろ、本当にいないという証拠さえ出せないのだからな」
 父さんは、教祖だ。
(本書p99より)

 同じくガガガ文庫『ストレンジボイス』の作者の2作目です。とはいえ、お話そのものはまったくの別ものなので単品で読んで何の問題もありません。ただ、『ストレンジボイス』と『パニッシュメント』、両者のタイトルが仮に入れ替わったとしても違和感はありません。通奏低音には共通しています。なので、『ストレンジボイス』を気に入られた方であれば本書もぜひ読んで欲しいです(もちろん、逆もまた然りです)。 
 ポストオウム真理教時代のラノベ。などと思ってしまうのは私自身の問題でしょうが(苦笑)、新興宗教について程よい距離感を保ちながらもそれだけではなくて、つまりは宗教や信仰のみならず思想や信条や信念や教育といった人間が生きる上での指針となり得る様々な要素が巧みに織り込まれています。
 主人公・郁の父親は新興宗教の教祖。郁のクラスメイトで幼馴染みの女子高生・常盤の母親は郁の父親の宗教を信仰していてどっぷり嵌まり込んでいます。同じく郁のクラスメイトである七瀬はタロット占いに傾倒しています。そんな恋愛的三角関係を描きつつ、父と母と子という親子的三角関係も描く。パニッシュメント=罰という観点からいえば、犯人と被害者がいて、そして罰を下す存在という三角関係をイメージすることができます。あたかも三角模様によって縫い合わされたタペストリーのような構成のお話です。それは憎たらしいほどに綺麗なかたちです。でも色彩は……。
 新興宗教という社会派的なテーマを扱いつつも恋愛模様やクラス間の微妙なパワーバランスやヒエラルキーなども描かれていて、社会派ではなくキャラクタ重視の物語に仕上がっています。
 ちょっと暗めなお話が好きな方にオススメです。
(以下、既読者限定でつらつらと。)
 父と子と精霊の三位一体的概念に乗っかって考えますと、神=作者、子=読者、精霊=物語といえるでしょうか。タロット占いなどは、カードによってその人だけの物語を提示するための儀式(あるいは装置)です。このとき、その人だけの物語を与えられた読者は、その物語の主人公となります。それは「救い」であったり「罰」といった「奇跡」であったりするのでしょう。自分自身の物語は自分自身で考えるべきだ、と切って捨てるのは簡単ですが、それで片づけてしまうには私たちの人生はあまりにも他動的なようにも思います。普通でいることに耐えられない七瀬が占いにはまるのも、物語という安心、あるいは登場人物という役割による承認が欲しかったからだといえます。
 読者にはそうした「救い」や「罰」が与えられますが、では作者にはどうでしょう。神などいないことなど骨身に染みている作者には、読者になりきる信仰心を抱くことなどできません。ですが、それでもあえて「奇跡」を望み「救い」を求めるのであれば、自身が「神殺しの物語」の神という登場人物になるのもひとつの方法なのでしょう。それは子どもの視点から見れば「親殺しの物語」でもあります。そんな物語でも「救い」として欲する人物がいて、それが「語られたい」という欲求なのかもしれません。
 さらにパニッシュメント(神罰)ならぬ社会的制裁、あるいはメディア・パニッシュメント。「救い」ではなく「罰」を与える存在とそれを求める意思は何も七瀬に限ったことではありません。そして最後に「求めよ。さらば与えられん」を皮肉ったとしか思えない結末。「奇跡」を求めるものにとっては「救い」となり得ても、求めてないものにとっては「罰」となるという不合理な因果。いや、これもまた因果応報というべきなのでしょうか。
 以上、落ち着かない物語だけに落ちは着きませぬ(←上手いこと言ったつもり)。