『[映]アムリタ』(野崎まど/メディアワークス文庫)

[映]アムリタ (メディアワークス文庫 の 1-1)

[映]アムリタ (メディアワークス文庫 の 1-1)

 彼女の才能はこんなものではない。
 だけど僕らのような持たざる者がいくら隙間から覗いたとしても、染み出すわずかな明かりですら眩しすぎて、彼女の中など何も見えないのだ。
(本書p145より)

 「野崎まど」*1というペンネームは、おそらくは「覗き窓」から来ているのだと思います。
 自主制作映画に撮影に役者として誘われた芸大生の二見遭一。その映画は天才と噂される最原最早の監督作品だった。天才という言葉に懐疑を抱く二見であったが、彼女が描いた絵コンテを見た途端に引き込まれ、なんと二日以上もその絵コンテに没入してしまう。恐怖と同時に興味を覚えた二見は映画の撮影に参加することを決意するが……といったお話です。
 「絵コンテ」から始まり「撮影」、「編集」、そして死者、もとい「試写」と続く章立てからも分かるとおり、本書は映画制作を軸とした物語です。最原さんのボケと二見くんのツッコミというテンポのよいコミカルな掛け合いも相俟って、映画の撮影も物語もテンポよく順調に進行していきます。ですが、その裏には実に巧妙な仕掛けが用意されています。その仕掛けが姿を現し始める中盤以降の二転三転する展開はサスペンスに満ちています。
 私は、本書は基本的に準じて紹介するのが適切な作品だと思います。それは、近づくことで不幸になるのが分かっていながら近づかずにはいられない「禁断の知識」を追い求めずにはいられずに悲惨な結末を迎えることになるクトゥルフ作品に通じる恐怖です。
 ですが、ミステリ的な魅力があるのも確かだと思います。詳細については黄金の羊毛亭さんの感想(特にネタバレ感想)をぜひお読みいただきたいです。その上で、私なりに本書のミステリ的な魅力、あるいは本書が提示しているミステリ的な問題意識について考えてみますと、それは、心の問題がデータの問題にスライドしていくという現代的な現象に深く関係しているという点を挙げることができるでしょう。
 『「謎」の解像度 ウェブ時代の本格ミステリ』(円堂都司昭/光文社)において、以下のような指摘がなされています。

 見方を変えれば、心の問題とデータの問題が同格になるのは、歌野作品に限らず本格ミステリ全般の体質ともいえる。本格ミステリでも人間が登場する以上、当然、心の問題は扱われるが、同時に人物は推理のためのデータとして登場するのである。本格ミステリはもともと、そうした体質のジャンルだった。また、それとは別に、先に述べた通り、心の問題がデータの問題にズレていきがちな時代性もある。
(中略)
 人間がデータの束として扱われる機会が増えるとは、人間がデータと同じく編集加工の容易な存在だと考えられるようになること。そして、人は自分の不全感から、データを編集加工できるのと同様に分身や変身が可能ならばと望む一方、どうにでも変わりうる不安定性に恐れおののきもする。こうした微妙な葛藤を描くのに、書き換え禁止でありながら読み換え必須な、一種の葛藤の上に成り立つ本格ミステリの手法はふさわしいのではないか。
『「謎」の解像度 ウェブ時代の本格ミステリ』p182〜184より

 心をデータもしくは情報と考えて向き合うという点において、本格ミステリと野崎まどの指向はかなりの部分において共通性がありますし、このように考えますと、本書で描かれている恐怖は本格ミステリ的であるといえるでしょう。確かに、ミステリ読みにオススメしたくなる一冊です。

「謎」の解像度

「謎」の解像度

*1:本当は、「崎」の字は”大”の部分が”立”の字に似た旧字体の「崎」です。ここでは文字化けの恐れを考慮して崎の字を用いてますのであしからず。