『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約』(山口優/徳間文庫)

シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約(ちかひ) (徳間文庫)

シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約(ちかひ) (徳間文庫)

 第11回日本SF新人賞受賞作です。
 宇宙と地球の夜空が濃青から紫色へと変貌を遂げた2030年代。「全天紫外可視光輻射現象」と呼ばれるその謎を解明するために人類は各国協力の下、地球軌道上の宇宙基地〈エデン〉にて人工知能を開発することを決定した。異なる理論に基づく人工知能同士の対立、さらには人間の知能を超える人工知能の開発に危険を唱える勢力からの反発。状況は混迷を極める中、〈エデン〉に対して突如として攻撃を加える戦闘機が現われて……といったお話です。

「初めはチェスプレイヤー、次は棋士、最後は物理学者というわけだ。俺も物理学者をやっている身だし、彼らの心情は理解する。だが、シンギュラリティ時代の到来を予測する俺の信念は変わらない」
(本書p131より)

 シンギュラリティとは、一般にコンピューターの知能が人間を超える現象、またはその瞬間を意味する言葉と解されていますが、そうした現象を説明するために、本書ではコンピュータチェス・囲碁を用いた例えが随所に用いられていますが、そうした例えはコンピュータ将棋にもかなり通じるものがあります。といいますか、実をいうと作者はかなりコンピュータ将棋の現状を意識した上で本書を執筆したのではないかと推察されます。
 例えば、本書では人類を超える人工知能としてメサイアと天夢(アム)の2つが対立しています。このうち、メサイアは集合人工知能で必要な解を追求させるためのパラメータを人類側が監視するという「抑制プロトコル」と呼ばれる手法を採用しています(本書p148以下参照)。一方、天夢では、天夢自身が人間と触れ合う過程において自ら人類の一員となるようにパラメータを作成していくことに期待するという手法を採用しています(本書p158以下参照)。これは、コンピュータ将棋における手動チューニングと機械学習との対比として理解することができます(【参考】「プロ棋士並み」コンピュータ、女流王将に挑む 「機械学習」と「合議制」組み合わせ - ITmedia News)。
 そうした天夢(アム)が日常生活の中から人類というものを学んでいく機械学習の過程は、天夢というアンドロイドが”人間”として成長していく過程でもあります。そこには、人々から親しまれるように日本の厚労省から公表されているデータに基づいて作られたという外見的な要因も相俟って、一種の萌えキャラとして捉えることができます。ただ、そうした萌えキャラとしての存在していることが、一個の人格体としての問題、すなわち「個とは何か?」あるいは「ネットワークとは?」といった問題をも浮かび上がらせているのが興味深いです。仕事、健康、人間関係といった身近な問題から、科学、社会、文化といった大きな問題までをもシンギュラリティというプロトコルでつなぎ合わせようという試みはとても意欲的です。
 本書における人類を超えた人工知能研究・開発の目的は「全天紫外可視光輻射現象」の究明のはずなのですが、にもかかわらず、本書ではそちらの謎よりも人工知能同士の対決や、そもそもシンギュラリティ自体が危険なものではないかといった問題のほうがクローズアップされています。これもまた、人間の思考方法を究明することが本来の目的でありながら(【参考】なぜコンピューターは「将棋が上手くなりたい」の? - エキサイトニュース)、まずは世界一将棋が強いコンピュータの開発を目標としたり、あるいは人間対コンピュータの対決自体を否定したり疑問視したりといった問題意識と重なってきます。
 本書にて既にコンピュータが人類を超えているとされているチェスの世界では、人類とコンピュータの協働――いわゆるアドバンスド・チェスという試みが行われています。そこでは、人間+機械は最強のコンピュータを圧倒したという結果が出たとされています(『決定力を鍛える』(ガルリ・カスパロフ/NHK出版)p321以下参照)。そうした歴史的経緯に照らし合わせますと、本書のストーリーと結末は非常にオーソドックスなものだといえるでしょう。ただ、そこに至るまでのデコレーションはとても大胆で面白いです。
 シンギュラリティという難渋なものになりがちなテーマをこれだけ読みやすい作品に仕上げたという点は高く評価してよいと思います。オススメです。
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