『夫恋―FUREN』(永田ガラ/メディアワークス文庫)

夫恋―FUREN (メディアワークス文庫)

夫恋―FUREN (メディアワークス文庫)

「評判ね。そういうのは、遅れて来るんですよ。たとえばわたしが五年前に始めたことを、いまようやく世の人々がもてはやしている。要するに時差があるんです。だから見物に受けることは大切だが、受けがよいからと言って安心するのは愚かだ。それを指標にすることなどできない。だいたい、ちゃんとわかって見ている人間など、本当はごくわずかしかいないのだから」
(本書p111より)

 『観―KAN』『舞王―MAIOH』と続いてきた、室町初期を舞台とした観阿弥の物語の完結編です。
 本書の特徴は濡れ場ががっつりと描かれていることです。……というのは冗談ですが(まあ本当ですけど・笑)、本書はこれまでの2作とは異なり、三郎太夫や犬王といった舞い手以外の人物の視点からの描写もいくつも導入されています。そのため、ちょっとした群像劇としての様相を呈しています。それは舞を見る者・観客の視点の導入です。芸術は観る者の存在があって成り立つものです。ですから、この3作目によってシリーズは完全なものになったということがいえるでしょう。
 本書では前作まで、特に1巻では三郎太夫自身が己が何者なのかを理解していなかったという自己覚知の未熟さと相まっておぼろげであったり幻想的だったりした場面もいくつかあったのですが、本書になりますとそうしたファンタジー的要素は完全に排斥されてしまっています。白拍子のあやめが普通の人間として登場したのには驚き半分のがっかり半分だったのが正直なところです。「伝説が終わって、歴史がはじまる」ではないですが、シリーズ通しての物語そのものが本書によって歴史の枠組みの中に押し込められた、ということはいえるでしょう。それが必ずしもよいことばかりだとは思いませんが、落ち着きがよくなったのは確かです。
 演じる者と観る者の評価の違い、三郎太夫と犬王の舞の違い、三郎太夫の舞に惹かれる者、犬王の舞に惹かれる者、そして舞とは無縁に生きて死ぬ者。舞を見る市井を描くということは、舞が演じられた時代を描くということであり、その時代において舞がどのような役割を果たしていたのかを描くということでもあります。その中にあって、常に庶民の先・時代の先を見据えて自らの舞を作り続けてきた三郎太夫の美しくも傲慢な生き方は、天才というもののあり方を巧みに捉えたものだと思います。
 とはいえ、本書の主眼はそんな演者を見つめる女性たちの生き方にあります。命の価値が軽い時代・生きることが不安定な時代において精神的・社会的・経済的な安定な状況と華やかな恋模様とが絶妙のバランスで描かれています。描きにくい時代の描きにくい題材を娯楽小説として読みやすいものに仕上げたシリーズとして高く評価してよいと思います。
【関連】
『観―KAN』(永田ガラ/メディアワークス文庫) - 三軒茶屋 別館
『舞王―MAIOH』(永田ガラ/メディアワークス文庫) - 三軒茶屋 別館