『むかしのはなし』(三浦しをん/幻冬舎文庫)

むかしのはなし (幻冬舎文庫)

むかしのはなし (幻冬舎文庫)

――先ほどのお話にもありましたが、『私が語りはじめた彼は』と『むかしのはなし』は、語り手の視点や、人称の問題を追及した挑戦だった?
三浦 挑戦というほどでもないんですが、色々考えて、でも色々考えすぎちゃいけないという結論でしたね(笑)。ただ、小説を書いていく上で、避けては通れませんでした。どうしても必要だったんです。だっておかしくないですか? 一人称の「語り」って、いったい誰に向かってしゃべってんの?って。一度疑問に思い始めたら、クリアしないと先に進めないと思いました。三人称だって、完璧な三人称は難しいし、また完璧な三人称は、つまらないとも思うんです。そういうことを考えていたら、一時期”人称オタク”みたいになってしまって(笑)。
(『活字倶楽部』2010年6月号p13〜14より。)

 作者には作者には、その作品について「こういうふうに読んでもらいたい」という思いはあるとは思いますが、しかしながら、読者にとってはそんなの関係ないわけで(笑)、読みたいように読んで勝手なことを思うわけで、それが読者にとって読書の楽しみというものです。
 しかしながら、一人称の語りで誰に向かって語っているのかが明らかな場合には、「私」は相手に何を伝えようとしているのか、といった解釈の絞り込みが自然と求められることになります。でも、その「相手」も結局のところフィクションな存在なわけで、つまりは人称についての作者の問題意識は読者にとっても大事な問題だといえます。とはいえ、作者が立ち止まってしまうのはまだしも、それで読者まで立ち止まってしまっては作者的に涙目でしょうから、読者は読者でやはり好き勝手に色々考えながら読んでいけばいいわけで、こうして読者の楽しみというのは様々に広がっていくのだと思います。
 本書には、「ラブレス」「ロケットの思い出」「ディスタンス」「入江は緑」「たどりつくまで」「花」「懐かしき川べりの町の物語せよ」の7作品が収録されていますが、それぞれ「かぐや姫」「花咲か爺」「天女の羽衣」「浦島太郎」「鉢かづき」「猿婿入り」「桃太郎」のパロディ・現代風に語り直された作品として統一されています。昔話の語り直しという観点からですと、「天女の羽衣」のパロディである「ディスタンス」が一番面白いと思います。
 しかしながら、本書は「入江は緑」から思わぬ展開を見せることになります。裏表紙のあらすじにも堂々と書かれていることなので明かしてしまいますが、実は本書には「三ヵ月後に隕石がぶつかって地球が滅亡し、抽選で選ばれた人だけが脱出ロケットに乗れる」という通奏低音があるのです。平凡な日常。隕石がぶつかると発表されたとき。三ヶ月という残された時間を生きる人。残された人。脱出した人。ナンチャッテSF的設定によって加えられるさらなる奥行き。それぞれの場所・時間によって物語の意味は変容していくことを余儀なくされます。
 昔話とは「作者」という存在の無意味な物語であるがゆえに、幾人もの語り手によって幾人もの聞き手に語り継がれてきました。そんな昔話をモチーフにしての、未来の語り手と聞き手の関係が意識されている物語という構成はメタ批評的に面白く、それでいて、中身は決してスカスカでもなければ逆に小難しいものにもなっていません。物語による人と人とのつながりというものを遠近様々なレベルで考えさせられる逸品です。

活字倶楽部 2010年 06月号 [雑誌]

活字倶楽部 2010年 06月号 [雑誌]