『告白』(湊かなえ/双葉文庫)

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)

 「告白」という言葉を辞書で引いてみましたら、

こくはく 【告白】
(名)スル
(1)心の中に秘めていたことを、ありのままに打ち明けること。また、その言葉。
「愛を—する」
(2)キリスト教で、自己の信仰を公に言い表すこと。また、自己の罪を神に告げ、罪の赦(ゆる)しを求めること。
(3)広く告げ知らせること。広告。
「—…予私塾を開き英学を教授す/新聞雑誌 18」
希有元素(けうげんそ)の意味 - goo国語辞書より)

とあります。私としては(1)の意味しか念頭になかったので*1、(3)の意味があるのに少々意外な気がしました。日本語に無知であったことを告白します(笑)。してみると、本書の『告白』というタイトルは内容を的確に表現しているものだといえるでしょう。
 告白。それは、心の中に秘めていたことをありのままに打ち明けること、とあります。しかし、ありのままだからといって、その言葉が必ずしも真実とは限りません。主観的事実と客観的事実が異なる場合もありますし、一面的な観察では見ることのできない側面もあるでしょう。いずれにしても、その告白は告白する人間にとっての物語に過ぎません。
 本書は、複数の人物によるモノローグで構成されています。独白による告白は、聞き手がいるようでありながら、まずは語ることにこそ意義があります。「第一章 聖職者」にしても、生徒を目の前にした告白でありながら独白になっています。本書の巻末収録の”中島哲也監督インタビュー「告白」映画化によせて”の言葉を借りれば、「たくさんの生徒に向かってずっと話しかけているんだけど、実は何も語りかけていない。」(本書p310より)ということになります。コミュニケーションを行なう意志が一切ない一方的な告白は、ときに酷薄な響きを持って聞き手の心に残ります。
 しかしながら、本書でなされている告白のすべてが聞き手を持たないわけではありません。特定の聞き手が想定されている告白もあります。ですが、そうした場合において本来の聞き手にその告白が届いているかといいますと……。
 本作は、2008年度の週刊文春ミステリーベスト10で第1位、このミステリーがすごい!で第4位にランクイン、2009年に本屋大賞を受賞するなど、多くの読者を獲得しました。その背景には、インターネットの普及があるといえるでしょう。それは、本書でなされている告白のひとつがウェブサイトによるものだから、というだけではありません。私たちは、いざとなればブログなどで簡単に自らに関する事柄を「告白」することができます。その反響が必ずしもコメント欄やメールなどで返ってくるわけではありません。ですが、どこかにいる誰かにひょっとしたら自分の気持ちを理解してもらえるかもしれない、自分のことを分かってもらえるかもしれない。そうした承認欲求のはけ口としてネットはとても便利です。
 そのこと自体を特にどうこう言う資格は私にはありません。そもそもこのブログ自体がそうした性質を持ったものですからね(苦笑)。ただ、そうして告白することが容易となった反面、本当に聞いてもらいたい相手に聞いてもらうことが、向き合わなくてはならない相手と向かい合うことが、疎かになってしまっているのではないか。本書で語られる複数の「告白」によるすれ違いとディスコミュニケーションの物語を読みながら、そんなことを思いました。

*1:(2)はないことはありませんでしたが、日本のお話ですしね。