『クトゥルフの呼び声』(宮崎陽介/クラシックCOMIC)

クトゥルフの呼び声 (クラシックCOMIC)

クトゥルフの呼び声 (クラシックCOMIC)

「大の大人が驚異的な状況を当然のものとして受け入れてくれた時代は過去のものとなりました。ただ一ヵ所でも物語が自然でなくなるのを有り得ることだと思ってくれるような心理状態に持って行くには、この上ない巧妙さと迫真性が必要となるのです。描き出すと決めた驚異を除き、あらゆる細部にわたって物語を真に迫ったものにしなければなりません。基調となるのは科学的な解説文であるべきです――既存の知識にない『事実』を提示するには、それが普通の方法だからです」
(本書p91で紹介されてるラヴクラフトの言葉より)

 結論から言いますと、期待ハズレでした(苦笑)。
 そもそも、クトゥルフ神話は大好きですがそれを上手く漫画化するのは難しいだろうなぁという期待半分不安半分の気持ちで本書を手に取りました。なので、そんなにがっかりするようなことではないはずなのですが、もう少し何とかならなかったのかと正直思います。
 ラヴクラフトハワード・フィリップス・ラヴクラフト - Wikipedia)の原作『クトゥルフの呼び声*1は、虚実の境界を曖昧なものとするドキュメンタリー的手法を用いていますが、それは怪談の語りにも通じるものがあります。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」といいますが、名状しがたいもの*2を絵にしてしまうことの無粋さはやはり回避できていません。
 章の合い間に森瀬繚によるクトゥルフ神話ラヴクラフトなどについてのボリューム満点の解説が収録されていますので、一冊の本としての読み応えはありますが、マンガとしては残念なことになっているのは否めません。
 とはいえ、クトゥルフ神話のコミカライズという魅惑的かつ困難な試みに挑戦してくれたという心意気自体は積極的に評価したいです。それに、なんだかんだいっても、名状しがたいものを言葉ではなく絵によって感得できる喜びというものは確かにあります。また、『クトゥルフの呼び声』という短編を、マンガという形式ではありますが一冊の本・長編として読み込めたというのはなかなか新鮮な体験でした。それだけの情報量がクトゥルフ神話の各話には込められているのだということを改めて実感させられました。
 『クトゥルフの呼び声』。それはクトゥルフ神話の原典において原点といえる作品です。恐怖のベールに隠されていた世界についての禁断の知識に触れてしまうことによって訪れる身の破滅。その先に死が待っているにも関わらず追い求めずにはいられない登場人物たち。そして、それを読まずにはいられない読者。バッドエンドが分かっているにも関わらず……。それは、そこでの死というものが、その人物が世界にとって特別な存在であると認められた証だからでしょう。それこそが、クトゥルフ神話が人々を惹きつけてやまない魅力なのだと思います。

ラヴクラフト全集 (2) (創元推理文庫 (523‐2))

ラヴクラフト全集 (2) (創元推理文庫 (523‐2))

*1:私が所持している本では、『ラヴクラフト全集 2』(H・P・ラヴクラフト創元推理文庫)に収録されています。

*2:原作の言葉でいえば、「ヨハンセンの描写力をはるかに超え」たもの(『ラヴクラフト全集 2』p57より。)