『赤い指』(東野圭吾/講談社文庫)

赤い指 (講談社文庫)

赤い指 (講談社文庫)

「平凡な家庭など、この世にひとつもない。外からだと平穏な一家に見えても、みんないろいろと抱えてるもんだ」
(本書p145より)

 本書は冒頭で末期癌で入院している患者と看護師との間で行なわれている将棋の場面から始まります。将棋は対局者が互いに一手ずつ指すことによって進んでいくゲームですが、本書もまたあたかも将棋のごとく対局者が一手ずつ指していく物語です。本書はミステリではありますが、普通のミステリとは異なり犯人はすでに明らかとなっています。いわゆる倒叙と呼ばれるタイプのミステリに該当します。殺人の罪を犯した一人息子を何とかかばおうとする両親の視点と加賀・松宮の刑事たちの視点。両者の間でそれほど複雑な駆け引きが行なわれるわけではありませんが、それでも互いが互いの動きを見て細心の注意を払いながら次の行動を決断する様子には緊張感があります。
 一見すると平凡な家庭と殺人事件を組み合わせることで、それぞれの家庭というものを描いた佳品です。
(以下、既読者向けに将棋にこだわった雑感。未読の方はご注意を。)

「大事なのはここから先だ」小林は松宮の肩に手を置いた。「ある意味、事件よりも大切なことだ」
(本書p285〜286より)

 犯人が自白した後に行なわれる”指し手”の検証。これは将棋において対局後に行なわれる感想戦を思わせます。
 本書の真相の肝は、母親が痴呆症を演じていたという点にあります。操っていたつもりが操られていた、プレイヤーでいたつもりが実は駒だったという皮肉。また、刑事たちとの勝負をしていたつもりが実は母親という見えない対戦相手がいたという真相は、病院での将棋の対戦相手が看護師ではなく加賀だったというのと重なります。実に小憎らしい構成です。
 それとタイトルの『赤い指』ですが、指は指し手を意味し、赤は将棋の駒が成ったときの文字の色である赤を意味している、と読み解けます。いや、これは深読みが過ぎるかもしれません。ですが、痴呆症だと思い込んでいた母親に実は十分な判断力があったということが明らかになったときの衝撃は、単なる歩に過ぎないと思っていたものが瞬時に「と金」に成ったのにも似たものがあると思うのです。……考え過ぎかもしれませんけどね。