『サクリファイス』(近藤史恵/新潮文庫)

サクリファイス (新潮文庫)

サクリファイス (新潮文庫)

「アシストを徹底的に働かせること。それが勝つためには必要だ。自分のために働かせて、苦しめるからこそ、勝つことに責任が生まれるんだ。奴らの分の勝利も、背負って走るんだ。わかるか」
(本書p87より)

 プロローグで真っ先に示唆される悲劇。この示唆がなければ、本書をミステリだと思って読む人はまずいないのでないでしょうか。それくらい、本書はサイクルロードレースという自転車競技を濃密に描いている本格スポーツ小説です。
 ミステリの文脈でスポーツが描かれるときに外せないのがフェアプレイの観点です。ミステリはときに作者と読者のゲームと称されますが、それはつまり知的ゲームであることを意味します。であるならば、問題を提示する側である作者は読者に対してどこまでフェアでなければならないのか。フェアとはいったい何なのか。それがフェアプレイの問題です。一方、スポーツ競技には当然のことながら守られなければならないルールがあります。ルールこそがスポーツをスポーツ足らしめています。ですが、そうした最低限の明示されているルール以外にも守られなければならない暗黙のルールなどがあって、そうしたものがフェアプレイの問題として顕在化してきます。そんなミステリとスポーツとのフェアプレイ問題の同期がスポーツを題材としたミステリを読む上での醍醐味だと個人的には思ってます。
 ロードレースにもそうしたマナーの問題があります。高速で走るレース競技の常として、スリップストリームによる空気抵抗の利用があります。先頭を走っている選手の後ろにつくことで空気抵抗が著しく低減されるために力を溜めることができるのですが、その分、先頭の選手は空気抵抗をひとりで引き受けることになります。そのため、集団で走る場合には、たとえ相手がライバルだとしても順番に先頭を交代するのがマナーだとされています。
 また、ロードレースの大きな特徴にエースとアシストという役割分担があります。エースはレースで勝利するために、そしてアシストはエースを勝たせるために走ります。アシストの仕事として相手のエースをマークするというのがあるのですが、このとき、アシストが相手エースの後ろをずっと走ってゴール直前を迎えたときに、そのアシストはトップでゴールテープを切ろうと思えば切れます。しかし、アシストとしての仕事に徹して先頭交代をしなかったアシストが勝利を手に入れることはマナーに反します。なので、そうした場合には相手のエースに勝利の座を明け渡します。それがロードレースにおける”フェア”です。
 主人公の白石はプロのロードレースチームに所属するアシストです。アシストとしてエースを勝たせるための役割を要求されながら、自分のためではなくチームの勝利のために走るというポジションに白石は自由を感じています。そんなアシストとしてのプライドと駆け引きを中心とした人間ドラマと白熱するレース展開が物語をぐいぐいと引っ張ります。
 エースとアシストの関係は、ミステリにおける探偵役とワトソン役の関係を想起させます。ロードレースではアシストを担当している白石ですが、物語的には主人公として探偵の役割を担っています。そうした役割の違いと対比が面白いです。ただ、物語がミステリ的な展開を見せるのは後半になってからで、しかも、その二転三転する真相自体スポーツ競技・ロードレースならではのもので大変興味深いと思うのですが、その見せ方はあまり感心できるものではありません。アシストとしての主人公の描かれ方に比べると探偵役としてのそれはあまりにも貧弱です。それというのも、探偵役に奉仕する役割であるワトソン役が本書にはいないからで、そのことが皮肉にもロードレースにおけるアシストの重要性を実証してしまっているように思えてしまいます。結局、本書はアシストという役割を徹底的に描いた小説ということなのでしょう。
 ロードレースという競技の魅力をサスペンスフルに描いた傑作として広くオススメの一冊です。