『閉じた本』(ギルバート・アデア/創元推理文庫)

閉じた本 (創元推理文庫)

閉じた本 (創元推理文庫)

 本書のタイトルA Closed Bookもまた、アデアの言葉遊びの才が遺憾なく発揮されている。邦訳では原題を踏まえ、そのまま『閉じた本』としたが、これがじつにひねりの利いたタイトルだということは、本書を読んでいくうちに徐々に明らかになっていくはずだ。closed bookを辞書で引いてみると、「すでに決着したこと・終わった話・決定事項」という意味と「不可解なこと・わけのわからないこと・理解しがたき人物・得体の知れぬ人・謎」という意味のふたつがあることがわかる。
(本書「訳者あとがき」p305より)

 事故で眼球を失った大作家ポールは、世捨て人同然の生活を過ごしていたが、ある日自伝を執筆することを決断し、そのための口述筆記の助手として青年ジョンを雇う。執筆は順調に進んでいるかのようでありながら、ささいなきっかけからポールは少しずつ違和感を覚え始める。果たして彼は自伝を無事に完成させることができるのか……といったお話です。
 本書を紹介する上でまず触れなくてはいけないのはその形式です。すなわち、会話と独白のみの構成。地の文による描写が一切ない本書の構成において、読者は会話文と独白文のみからしか虚構世界の真実を知ることはできません。それこそが作者の狙いです。視力を失ったポールはジョンの描写によってのみ外の世界の様子を知ることができます。つまり、ポールと同じような盲目の状態に読者を置くことによって、ポールの感じる恐怖や違和感といったものを読者もまた否応なく体感させられることになります。
 会話の中に描写が内包されているという意味において、本書はメタ小説として理解することができます。作者によって取捨選択された記述によってのみしか小説世界のことを知りえない読者と、外界の認識を対話に頼る盲人との類似性。言葉という逃れようのないフィクション。そこに創作における作者の拘り・問題意識を見て取ることができます。
 本書のメタ的問題意識・仕掛けはそうした内的問題にとどまりません。それはタイトルの意味の二重性にも関わってきます。主人公と読者の盲目の二重性と内外の二重性。実に巧みで憎らしい構成だといえます。
 もっとも、ストーリーとしては、作家として自伝を口述するポールと、ポールのために外の様子を描写して代筆するジョンとの間に緊張感や緊迫感が徐々に生まれていって、さあいったいどうなるのか?といったところで明かされた真相に少々興を削がれてしまったために、構成やレトリックの巧みさしか読後の印象として残らなかったのが少々残念ではあります。
 とはいえ、会話と独白のみという異色の構成のミステリとして、単に珍しいというだけにとどまらない作品であることは保証させていただきます。