『ちょコワ、いかがでしょう?―ほんとにあった、ちょいコワ奇譚集』(水城正太郎/富士見ファンタジア文庫)

 本書はライトノベルにしては珍しい(もしかしたら初の?)怪談(参考:怪談 - Wikipedia)小説です。
 ロボット工学に”不気味の谷”と呼ばれる概念があります。

日本のロボット工学者、森政弘が1970年に提唱した。森は、人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作においてより人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した。人間の外観や動作と見分けがつかなくなると再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになると考えた。
このような、外見と動作が「人間にきわめて近い」ロボットと「人間と全く同じ」ロボットによって引き起こされると予想される嫌悪感の差を不気味の谷と呼ぶ。人間とロボットが生産的に共同作業を行うためには、人間がロボットに対して親近感をもちうることが不可欠だが、「人間に近い」ロボットは、人間にとってひどく「奇妙」に感じられ、親近感をもてないことから名付けられた。
不気味の谷現象 - Wikipediaより)

 ”不気味の谷”は、ロボットの外見や動作が人間に極めて近づいた場合に人間が覚えるであろう感情に着目した概念ですが、それと同じことは、物語の現実度にもいえると思うのです。
【参考】『図書館戦争』と”不気味の谷” - 三軒茶屋 別館
 なので、例えばファンタジーというジャンル性を維持したければ過度な現実性は禁物で、あまりにリアルに懲りすぎてしまうと違和感や不気味さを覚えられて忌避されるということも、ときにあるのではないかと考えられます。ところが、ホラーと呼ばれるジャンルの場合には、そうした違和感や不気味さを感得されても何ら不都合はありません。それどころか、そうした”不気味さ”こそが目的となることすらあります。ホラーと呼ばれる作品群において手記や体験談といった現実と虚構との境界を曖昧にする語りが好まれるのもそのためでしょう。恐怖という感情を核心とするホラーというジャンルにおいて、そうした”不気味さ”が生まれたとき、そのお話は怪談と呼ぶに値する物語になるのだと思います。
 本書は、富士見書房の編集アルバイトである矢作妹兎子と作家の水城正太郎が、怪談本を出版するために怪異の体験談を蒐集するというストーリーです。実在する編集部や著者自身が作中に登場したりしますが、これはメタ形式の物語を描くためではなくて、怪談として現実と虚構の境界を曖昧にするための工夫です。怪談の小ネタが多数盛り込まれた連作形式となっていますが、最初の方に人形を題材とした怪談話がいくつか紹介されます。人が人形に感じる不気味さは”不気味の谷”現象そのものです。現実と虚構の谷間を描こうとする配慮を随所に読み取ることができます。
 軽妙な語り口はライトノベルとしても怪談としても違和感がありません。両者の意外な相性の良さというものを感じさせます。また、ひとことで怪談といってもいくつかのパターンがあります。例えば、まったくの作り話の場合には、誰がどんな視点でそのお話を語っているの?という問題が生じることになります。本人は本当に体験したつもりで語っているのですが、実は何らかの錯誤や勘違いがある場合には、それが解消されてしまえば脱力系のお話となってしまいます。その他、本当にあった陰惨な事件がむしろお話というオブラートに包まれて語られている場合もありますが、この場合にはネタが割れた後のほうもむしろ恐ろしかったりします。こうしたいくつかのパターンを織り交ぜながら、物語は読者を恐怖へと少しずついざなっていきます。
 一冊書き上げるのにたくさんのネタを必要とするので大変でしょうが、それでも、続きがあるのなら是非読んでみたいです。