『マッチメイク』(不知火京介/講談社文庫)

マッチメイク (講談社文庫)

マッチメイク (講談社文庫)

 第49回江戸川乱歩賞受賞作品です。
 プロレス団体の総帥ダリウス佐々木が試合直後に急死した。試合による不幸な事故かと思われたが、しかし傷口からは蛇毒が検出される。それでは他殺?それとも自殺? 新人レスラー山田聡は同期の本庄と共に事件の謎を探り始めるが……といったお話です。
 試合中に負った怪我とはいえ、傷口から蛇毒が検出されれば、普通は他殺の線一本で捜査が行なわれなければおかしいでしょう。ところが、本件の場合には”プロレス”の試合という特殊性があります。すなわち、真剣勝負ではないのです。事前に決められたシナリオに沿った”ショー”であり、そこには総帥の意志が十二分に入り込む余地があって、さらには被害者が自殺したとしてもおかしくないそれっぽい動機が想定できさえすれば、自殺の線も十分に考えられてしまうのが本書の面白いところです。つまり、本書のシチュエーションも動機も殺害方法もプロレスを題材にしているからこそ描くことが可能なものばかりなのです。プロレスというテーマとミステリという形式とが見事に融合しているといえるでしょう。
 それではプロレスとは一体何なのか? 作中では以下のように説明されています。

八百長じゃないよ」本庄が言った。「八百長っていうのは、本来真剣勝負をしなければならないのに、当事者が星をやりとりすることを言うんだ」鏡子と同じことを言った。「ぼくたちのは、そもそも真剣勝負じゃない。言ってみれば舞台芸術なんだ。芸術とまで言うのはちょっと照れ臭いけどね」
舞台芸術?」
「つまり歌舞伎やオペラみたいなもの。あるいは舞台じゃないものでいえば映画とか」
「台本があるってことか」
「まあね。ビッグマッチは詳細に詰めるよ。お客さんの期待も大きいしね。そしてそれを作るのがマッチメーカーなんだ」
(本書p191より)

 より詳しいことについては本書を実際に読んでいただくとして、プロレスに真剣勝負を期待してはいけないことはプロレスにほとんど興味のない私のような人間でも何となく知っていることではあります(本当にあんまり知らないので、真剣勝負ではない、なんて言い切ってしまっていいのかは不安がありまくりです。なかには”真剣勝負”という台本もあるんじゃないかと思うのですが……)。本書の主人公である山田聡はプロレスラーでありながら初心なまでにプロレスの内幕のことを知らないのでこうしたことも読者に分かりやすく親切に説明してくれるのですが(笑)、こうしたプロレスの”型”といったものはミステリにも通低するものがあります。ミステリにもフェアプレイといったルールや密室やアリバイといった踏まえるべきお約束があります。本当に完全犯罪を描こうとするのであれば、そうした決まりごとなど無用です。にもかかわらず、そうしたお約束が絶えることなくミステリとして描かれているのは、その方が面白いからです。
 また、タイトルにもなっている”マッチメイク”も、普通の格闘技とプロレスの場合とでは意味合いがかなり異なります。一般的には対戦カードを組むこと意味しますが、プロレスの場合にはそれだけではなくて、試合の流れ(台本)を作ることをも意味します。決められた台本に沿って行なわれるプロレスラーの試合は、ミステリにおける”操り”の観点から見ても非常に興味深い題材です。本書の場合には山田の内面を重視した描写がなされていますので、そこまで踏み込んだ見方がされているわけではありませんが、江戸川乱歩賞という権威にホイホイ釣られたミステリ読みであれば思いを馳せずにはいられないテーマでしょう(笑)。
 誤解のないように付言しておきますが、プロレスが真剣勝負であることこそ否定してはいますが、プロレスラーの強さ自体が否定されているわけではありません。むしろ逆です。プロレスラーの強さと凄さは肉体的な意味でも技術的な意味でも存分に描かれています。その上で、真剣勝負ではなく舞台芸術の方向に走ることを選んだのがプロレスなのです。強さとはいったい何なのかを考える上でも興味深い一冊です。
【関連】『誰もわたしを倒せない』(伯方雪日/創元推理文庫) - 三軒茶屋 別館
【参考】プロレスとミステリ〜ジャンルとしての類似を考察する〜 プロレスLOVELOVE愛してる/ウェブリブログ