『そして名探偵は生まれた』(歌野晶午/祥伝社文庫)

そして名探偵は生まれた (祥伝社文庫 う 2-3)

そして名探偵は生まれた (祥伝社文庫 う 2-3)

 最初に注意しておきたいのですが、本書の購入を考えておられる方は、ご自分の本棚とよく相談してからにしてください。本書には、中短編4作が収録されていますが、そのうち、『生存者、一名』(2000年)と『館という名の楽園で』(2002年)は祥伝社文庫の企画「400円文庫」としてそれぞれ刊行されました。その後、その2作は祥伝社からの単行本『そして名探偵は生まれた』(2005年)に収録されましたが、その際、表題作である「そして名探偵は生まれた」が書き下ろされました。
 本書は、単行本『そして名探偵は生まれた』の文庫版に当たりますが、文庫化に際しまして「夏の雪、冬のサンバ」(2000年)という作品が新たに収録されています。この作品は、アンソロジー『密室殺人大百科』の下巻『時の結ぶ密室』(2000年:原書房→2003年:講談社文庫)に書き下ろされたものです。
 なので、熱心に新刊を追われている方にとっては既読のものばかりかもしれませんが、うっかりして読み漏らしている作品が本書に収録されている可能性もあります。いずれにしましても、その点をよくご勘案の上でお買い求めになられることをオススメします。

そして名探偵は生まれた

 ミステリでは様々なトリック、密室やアリバイ・さらにはダイイングメッセージといった問題が描かれて警察を苦しめているのに、現実にはそうした事件が起きないのはなぜでしょうか? 優等生的な答えとしては、そんなトリックを考えるような余裕があるなら殺人なんかしないし、もしするとしたらトリックなんか使わずに強盗や通り魔の犯行に見せかけた方がよっぽと有効だ、ということになるでしょうか*1
 ところが、本作では少々事情が異なります。そういう事件はあるにはあるんだけど、それをもとに小説を書いたりしちゃうとプライバシーやら何やらで訴えられて賠償金を支払わなくてはならなくなる。なので、実際にそういう事件があっても表には出てこないし、事件が表に出せない以上、それを活躍した探偵の存在も表には出せない。結果として、名探偵は報われない存在である、とすっかりやさぐれています(笑)。現実と虚構のギャップが、理想と現実とのギャップへと移行していき、そこから”名探偵が生まれる”までのプロットはなかなかに巧妙で楽しめます。

生存者、一名

 オウム真理教地下鉄サリン事件めいた地下鉄爆破事件の実行犯たちが逃げ込んだ孤島。そこで起きる惨劇の果ての結末。タイトルで暗示されているとおりの結末を迎えつつも、そこにどうやって意外性を用意するかが作者の腕の見せ所です。
 森博嗣の某作を彷彿とさせる真相もさることながら、結末ではさらにひとにねりが加えられています。ただ、個人的には、淡々と描かれているテロリストたちの人間関係と心理描写の方に面白みを感じました。信頼と裏切りがサバイバル小説には不可欠ですよね(笑)。

館という名の楽園で

 かつての探偵小説研究会のOBの仲間によって行なわれる推理ゲーム。この日のためにわざわざ作られた”館”を舞台にして行なわれる推理ゲームは、ミステリの虚構性を自覚した上で行なわれるゲームですが、にもかかわらず、なんともいえない哀愁が漂っています。それは郷愁といってもよいのかもしれません。そうした読み応えの基には、ストーリーとトリックとの絶妙のマッチングがあることを見逃すわけにはいきません。制約があるからこその創造性であり、人工的だからこその儚さだといえるでしょう。
 トリックについて詳細を語るわけにはいきませんが、館の図面が実に微妙な頁に挿入されているのには感服しました(笑)。

夏の雪、冬のサンバ

 季節的にミスマッチなものが組み合わされているタイトルには、同作者の某作を想起させるかのごとき仕掛けが用意されていることを暗示しています。もっとも、それはメインのトリックではないのでご心配なく。ですが、本当に面白いのは、やはり殺人事件が解決した後のオチでしょうね。この物語を「あの泥棒が羨ましい」で始められている本当の意味にはニヤリとさせられました。

*1:ただし、刑事事件の判例を細々と調べてみますと、トリックと呼んでもおかしくない手口が行なわれているケースがないことはないですけどね(もちろん、ミステリとしてはまったく面白くないものばかりですが)。