『水の時計』(初野晴/角川文庫)

水の時計 (角川文庫)

水の時計 (角川文庫)

 第22回横溝正史ミステリ大賞受賞作。
 本書は、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』(参考:青空文庫−幸福の王子)がモチーフになっている寓話ミステリです。医学的に脳死と呼ばれる状態にあるにもかかわらず、月明かりの夜に限り特殊な装置によって話すことのできる少女。生きることも死ぬこともできない少女が願ったのは、自らの体を臓器移植のために提供すること。そして、そんな少女の願いをかなえるために臓器の運び屋を依頼された孤独な暴走族の少年。現実と虚構の間に存在する寓話的な物語は、生と死の狭間を独特の幻想的な雰囲気で描き出しています。
(以下、既読者限定で。)
 〈蒼いサファイアの瞳〉で貴子の妹・さなえから瞳を奪ったのは、他ならぬ母親でした。その動機は、いわゆる代理ミュンヒハウゼン症候群代理ミュンヒハウゼン症候群 - Wikipedia)に該当するものだと考えられます。周囲の、我が子の関心を引くために、その我が子を傷つける行為。つながりを求めるエゴが生んだ悲劇のロジック。
【参考】http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/207391/
 〈剣の柄のルビィ〉では、臓器移植・海外での臓器売買を追っかけているフリーライターの視点から語られます。人工透析を必要とする生活から抜け出すために腎臓移植を願う女性。そんな彼女に取材し、臓器売買の危険性を訴える彼の姿は、さしずめ瞳を失った王子のために、町で生活する人々の様子を王子に伝えるツバメの姿と重なるものがあります。ただ、フリーライターには王子はいません。ですが、フリーライター自身が王子になることはできます。その事実を突きつけられたときに彼が抱いた絶望感と罪悪感を、誰が笑うことができるでしょうか。
 心を通い合わせるためには肉体を傷つけなくてはならないのか。それができないのであれば、通じ合わせることはできないのか。前二幕での問いかけに対しての一応の答えとして用意されているのが、〈鉛の心臓〉ということになるでしょうか。
 王子は自らの体を犠牲にして人々を助ける手伝いがして欲しくてツバメに話しかけたのでしょうか。そうかもしれませんが、そうではないかもしれません。孤独が嫌で、ツバメに側にいて欲しくて、むしろそっちが本当の目的ではなかったのか。『幸福の王子』の読者の多くが抱くであろうそんな感慨が本書のプロットになっているのは間違いないでしょう。だからこそ、王子がミュンヒハウゼンになってしまうわけにはいきません(おそらくは、そのための第二幕でしょう)。なので、結末もまたそれに見合ったものに変えられています。ツバメによって溶鉱炉に送られる幸福の王子。神も天使も出てこない現代版『幸福の王子』に相応しい結末だといえるでしょう。