伊坂幸太郎『魔王』講談社

魔王 (講談社文庫)

魔王 (講談社文庫)

表題作「魔王」と、「魔王」のその後を描いた「呼吸」の2作の中篇からなる物語です。
ある日、主人公である安藤という若者は自分の思ったことを他人にしゃべらせることができる「腹話術」という不思議な能力を持つことに気付きます。
おりしも、その頃社会情勢は悪化。そんななか登場した犬養というカリスマ政治家に安藤はかの独裁者、ムッソリーニの姿を重ね合わせます。
犬養の主張によりアメリカへの攻撃風潮が高まり、安藤の友人であり日本に帰化したアメリカ人・アンダーソンの家も放火される、という事件も発生します。
安藤は犬養に対し、自らの「腹話術」で戦おうと決意する・・・、というお話です。
作者自ら「五十嵐大介『魔女』に負けない強い存在を描きたい」*1と語っている通り、物語の中心にいるのは犬養というカリスマ政治家です。閉塞感漂う現在の社会情勢を打破する強い意志を持つ政治家。「彼についていけばこの国はよくなる!」と考え、民衆という大きな流れが一斉に同じ方向に向こうとする。その状況に主人公である安藤は危機感を覚えます。

「集団は、罪の意識を軽くするし、それから、各々が監視し、牽制しあうんです。命令の実行を、サポートするわけです。(中略)罪の意識を実感させないあの人数、統一感に」(p146)

安藤は「冒険野郎マクガイバー」の主人公*2が困難にぶつかると自分に言い聞かせる言葉、「考えろ考えろ」という言葉をたびたび唱えます。
「民主主義における「民意」とは、その目の高さ、リテラシーの堅実さによってのみ支えられるもの」という言葉もありますが、考えるという権利であり義務を止め、他人に任せてしまうことで思考をストップさせてしまう。他人から預かった権力を利用し、独裁国家を築くという流れは、フジモリは第2次世界大戦よりも田中芳樹銀河英雄伝説』におけるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを真っ先に思い浮かべてしまいます。
大いなる流れに対し「個人」が何ができるか。
安藤は「腹話術」というちっぽけな力で立ち向かおうとします。
巨大なものに対して個人が立ち向かう、という枠組みですが、

魔王は強い存在だから、人を殺せるような能力を持った人物にしよう。そう考えたのですが、簡単に殺せてしまうと『DEATH NOTE』と同じようになってしまうので(笑)、それを変えていって、腹話術になったんです。そうしたら全然強くなくなってしまいました(笑)。でも、最初の発想はそのような感じでした。*3

とあるように、本作は『DEATH NOTE』を意識して書かれています。
弱い能力である「腹話術」をいかに活用するか。安藤は徹底的に考え、大きな流れを止めようとします。限能感と「大きなもの」の戦い。
その結果がどうなったのか、気になる方は本編をお読みいただくとして(笑)、作者の意図するとおり「全能感」によって世界を変えようとする『DEATH NOTE』とは真逆のベクトルの物語になっていると思いますし、続編『モダンタイムス』と併せることである種の回答を提示していると思います。
個人的にはこの『魔王』という小説、宇野常寛が提唱する「セカイ系へのアンチテーゼである『DEATH NOTE』にはじまる決断主義(サヴァイヴ系)」*4に対する更なるアンチテーゼ(またはアンサー)を提唱する良書だと思っています。初出は2005年の小泉自民党が「歴史的大勝」を納める以前。作者の慧眼とそれをエンターテイメントに落とし込む手腕にただただ舌を巻くばかりです。オススメ。
【参考】『バクマン。』は『DEATH NOTE』へのアンサーコミックかもしれない - 三軒茶屋 別館

*1:講談社『IN POCKET』2008/9月号P7より

*2:余談ですが、安藤の友人・アンダーソンはマクガイバーの主人公を演じているリチャード・ディーン・アンダーソンからとってるのだと思われます。

*3:同じく講談社『IN POCKET』2008/9月号P7より

*4:個人的には『ゼロ年代の想像力』に対してはいろいろ突っ込みたいことがあるのですが、わかりやすさ優先で敢えてこういう言葉で括ります。