『ジェシカが駆け抜けた七年間について』(歌野晶午/角川文庫)

ジェシカが駆け抜けた七年間について (角川文庫)

ジェシカが駆け抜けた七年間について (角川文庫)

(以下、既読者限定で。)
 本書では、『葉桜の季節に君を想うということ』の次に発表された作品として期待を裏切らないトリックが用いられています。確かに、いわれてみれば冒頭のカレンダーも普通の西暦で考えると矛盾が生じますし*1、作中にもそうしたことを暗示するエピソード*2が挿話されてますから、構成としてはよくできていると思います。ですが、それでも小手先の小細工に騙された感は否めませんし、構えて読んでいたせいもあってインパクトも弱めです。なので、ミステリとしては小粒な一発芸ものだといわざるを得ません。
 ですが、ジェシカ・エドルとアユミ・ハラダという二人のアスリートの物語として読むと、そこにはページ数以上の充実したドラマが描かれています。
 叙述トリックとは、読者を容易に騙し驚かせることができる便利なトリックである反面、そうした叙述の間隙を突くかのようなトリックを本格ミステリとして評価することの是非については議論のあるところです。そうした観点から問題となるのが、叙述トリックを用いる意味・必然性です。
 その点について、本書の場合には単に読者を驚かせるためだけを狙って叙述トリックが使われているわけではない、ということはいえます。
 女子マラソンという独特な世界。オリンピックのメダルを目指しトレーニングに励むランナーたち。努力と才能の残酷なまでの距離。マラソンのスピード化が進み選手を強化するための技術も進歩するなかで起きる問題。その手段は時代時代で異なるものはあれど、その根底にあるものはいつの時代でも同じものでしょう。そうした普遍的ものを表現するための手法として、本書のトリックは有意的に機能していると思います*3
 本書ではドーピングについていくつか説明がなされています。そのなかには驚くべきものもありました。そうしたものは果たしてどこまで許されるのでしょうか? 私は本書をミステリとして、ミステリのフェアプレイというものを意識しながら読んでいましたが、途中からは、スポーツにおけるフェアプレイとは何? という方向に思考をシフトせざるを得ませんでした。おそらく、それこそが本書の真の狙いなのではないかと思ったりしました。
 なお、黄金の羊毛亭さんの感想(特にネタバレ感想)では、本書のトリックについての説明と図式による時間軸の整理がなされていますので、ご参考までに。
【関連】「フェアプレイと叙述トリック」についての落穂拾い - 三軒茶屋 別館

*1:西暦1997年のカレンダーを調べてみましょう。もっとも、そこまでしなくても2月16日の33日後が3月19日というのは普通に考えればおかしいですけどね。

*2:時差を利用した分身のアリバイトリック。

*3:冒頭で描かれる「丑の刻詣り」という時代錯誤的なシーンがそうした雰囲気作りにも一役買っている、といってしまうと褒めすぎでしょうか(笑)。