『検察審査会の午後』(佐野洋/光文社文庫)

検察審査会の午後 (光文社文庫)

検察審査会の午後 (光文社文庫)

 とある犯罪行為が行なわれたとしても、ばれなければ現実的に犯罪とはなり得ませんし、もっと言ってしまえば、ばれたとしても裁判にかけられなければ犯罪として処罰されることはありません。
 裁判所への公訴を提起するか否かという公訴権の行使あるいは不行使は検察官の判断に委ねられていますが、そうした重要な判断において職権乱用があってはなりません。公訴権行使という形での乱用の場合には裁判の場において糾されることが期待される一方で、公訴権不行使という形での乱用に対処するために定められているのが検察審査会法です。それに基づいて開かれるのが検察審査会です(参考:Wikipedia)。
 被疑者の有罪無罪を直接的に判断するものではありませんから地味なのは否めませんが、司法制度への市民の参加によって公権力が適正に行使されているか否かのチェックが期待されている大事な制度です。
 長らく入手困難となっていた作品ですが、2009年から裁判員制度の実施が始まるというこのタイミングで復刊されました。検察審査会裁判員による裁判では、審議の対象や目的は微妙に異なりますが、司法への市民参加のあり方を考える上では参考になる点が多い作品です。連作短編集ですが、主人公の高校教師・佐田には不倫が原因で職場を追われ離婚することになったという大きな声では言えない過去があります。その負い目によって法律ものにありがちなお勉強臭さが薄まっているのが巧みです。

落ちてきた義務

 第一話ということで、検察審査会とは何かという基本的な事柄が説明されます。審査の対象となるのは税務署員による職権乱用被疑事件。普通のミステリではお目にかかれない事件が審査の対象となるのも本書の面白いところです。検察審査会は起訴されなかった事件について「起訴不当」「起訴不相当」という公権力の不行使の妥当性を審査するのですが、そうした場において職権乱用という公権力の行使の乱用についての議論がなされるという捩れ現象が面白いです。

消えた指紋

 遺棄致死被疑事件。遺棄致死というのが分かりにくいですが、脳出血で死んだ人の側に誰かいたのか否か。いたとすればその人には何か逃げなければいけない事情があったのではないか? という事件です。審査会に参加している人間のタイプとして検察官型と弁護人型があるという指摘が面白いです。

効き目のない祈り

 宗教がらみの詐欺被疑事件。お守りというのも安価なら微笑ましいものですが、あまりに高価になりますと確かに詐欺臭くなってきます。とはいえ、どこからが詐欺か否かとなるとなかなかに厄介な問題です。市民参加型の議論だからこその素朴な問題意識が意外に面白いのです。

毒入り団子

 器物損壊被疑事件です。もっとも、器物といってもここで問題になっているのは飼い犬ですから、生きているものを器物と考えるのには抵抗がある方も多いことでしょう(もっとも、現在では動物愛護法が制定されていますが)。そうした保護法益についての価値観の違いというものが議論への熱意の差となって表れるのも市民参加型の議論ならではでしょう。

心停止時刻

 医師法違反ならびに虚偽診断書作成被疑事件。何だかよく分かりませんが、要は死んだ人の死亡時刻を医師が誤魔化したのではないか? というものです。なぜそんなことが問題になったのかといえば、死亡した人が町長選挙立候補者で、死んだ日付と投票日が極めて接近していたためです。検察審査会という司法制度を題材としている本書ですが、本作の場合には投票日と死亡日が接近した場合の問題の方が面白くてそっちの方に興味がいってしまいました(笑)。

紐が絡む

 証拠隠滅被疑事件。本書は検察審査会という司法制度を題材としていますが、ミステリとして読者を楽しませることも忘れていません。公訴権不行使についてのチェックというよりも、審査員の議論によって意外な真実が明らかになるというミステリ的な筋立てによって読者の興味を引っ張るものになっています。しかし、前作辺りから、不起訴相当・不相当のいずれの判断を下したにしても審査員が味わうことになるであろう「もやもや感」に焦点が当てられてきます。

盗まれた音

 タイトルどおり盗聴が問題となるのですが、何が犯罪となり何が犯罪とならないのか。罪刑法定主義というのは刑法の基本原則ですが、一般市民との法感覚上の差異というのはときに難しい問題です。

深夜の刑事

 警察官による職権乱用被疑事件。警察官によって日ごろ当たり前のように行なわれている職務質問ですが、実は刑事訴訟法上の難問でして、いろいろ考えてると訳が分からなくなってきます(笑)。もっとも、事件の性質自体は一話目と同じなので分かりやすくはあります。ただ、本作や前作の場合には審査員が抱える守秘義務と、でも誰かに相談したいという気持ちの間での微妙な葛藤が描かれています。
 検察審査会、ひいては司法への市民参加という社会問題が人間ドラマとして小説内にきちんと落とし込まれています。司法制度の理念と現実が必ずしも一致するとは限りません。だからこそ、こうした物語に価値があるのだと思います。
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