『ウォリス家の殺人』(D・M・ディヴァイン/創元推理文庫)
- 作者: D.M.ディヴァイン,Dominic Devine,中村有希
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2008/08/30
- メディア: 文庫
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本書は事件の被害者である人気作家ジョフリー・ウォリスの幼馴染で歴史学者であるモーリス・スレイターの一人称視点で語られますが、この一人称視点も本書の陰鬱な雰囲気にかなり貢献しています。ジョフリーとモーリスは確かに幼馴染ではありましたが、その関係は必ずしも良好なものとはいえません。ジョフリーは作家としてもテレビタレントとしても人気を博していましたが、モーリスはそうした大衆が見ているジョフリーの偶像からは自由でいられました。しかし、それは近しい者であるが故に抱いてしまった暗い感情によるものです。だからこそ、いざジョフリーの伝記の執筆を依頼された際に他の誰にも欠くことのできないジェフリー像を提示することができたのは皮肉以外の何物でもありません。しかし、その内容が単なる憎しみのはけ口になることなく堅実なものになっていったのには、歴史学者というモーリスにとっての良心とでもいうべき信念があればこそです。語り手の視点にすらこうした緊張関係の含みがあるのですから、物語全体が緊張感に包まれるのもむべからぬところです。
何者かによって殺害されたジョフリーの伝記を書く以上殺人事件の真相というのは、モーリスにとって事件当夜被害者の自宅にいたという事件関係者としての立場以上に重大な関心事です。モーリスは伝記の執筆作業と平行して素人探偵みたいな調査を行ないます。しかし、そうした探偵としての地位は、いわゆるミステリにありがちな上から目線ではありません。モーリスには離婚した妻と息子がいます。離婚の原因は妻の浮気でしたが、彼女は引き取った息子に浮気したのはモーリスの方だと吹き込みます。モーリスはそのことに気付いていますが、分かれた妻との関わりを避けたい彼はそれを甘受します。そんな彼が真実を暴こうとすることの皮肉さ。本書の探偵は特権的な地位を与えられていません。しかし、だからこそ、真実とそれを求めることに意味が生まれてくるのではないでしょうか。しかも、本書の一人称視点はそうした屈折した感情の方向を描くことに寄与する一方で、ミステリとしての構図にも深く関わっています。わずかなピースから導き出される結論は、論理の迫力には欠けますが、浮かび上がってくる真相には確かな説得力があります。神の視点ならざる一人称視点ならではの面白さだといえるでしょう。
*1:原題は This Is Your Death