『アンドロイド』(エドマンド・クーパー/ハヤカワ文庫)

アンドロイド (ハヤカワ文庫 SF 214)

アンドロイド (ハヤカワ文庫 SF 214)

 世界大戦に備えて政府の冷凍計画に従事していたジョン・マーカムは事故によって冷凍状態のまま150年の時を過ごした。そして、彼が意識を取り戻したとき、そこで彼が目にしたのは人間そっくりの超高性能ロボット、アンドロイドだった。治安や医療、果ては政治といった社会の機能のすべてがアンドロイドによって運営され、さらには市民の一人ひとりが忠実な私用アンドロイドを所持している22世紀の社会。マーカムにも私用アンドロイドが渡されたが、そのアンドロイド・マリオンAは亡き妻とそっくりの姿をしていた。というようなお話です。
 冷凍状態による150年後の世界での目覚め。本書には図らずも未来の世界にタイムスリップしてしまったタイムトラベラーの苦悩とでもいうべきものが描かれています。彼が冷凍状態に陥った直後に発生した核戦争による世界の大変革。科学の進歩によって作られた高性能ロボット・アンドロイド。アンドロイドがアンドロイドを作ることが可能になったことによって、その技術の発展は人間に手から離れていきます。離れていったものは科学技術だけではありません。人間が生きるためのすべての雑事をアンドロイドがこなしてくれている社会では、人間はやることがなくて、専ら芸術に生き甲斐を見出すことになります。本書の世界で描かれているアンドロイドの知能と倫理はアジモフの提唱したロボット3原則を超えてしまっているのです。
 働くこと、家庭を持つこと、自分が生きていく環境を自分自身で作り出すこと。そうしたことが当たり前であった旧世紀の価値観を持つマーカムにとって、22世紀はどこまで行っても居心地の悪い世界です。そこで彼は、この世界を司るアンドロイドがどのようなものかを調べ、ひいてはアンドロイドの人間性というものを調べるために、自らに配布されたアンドロイド、マリオンAと様々な会話を交わすことにします。このマリオンAが、SFというジャンルにおいて不朽の女性型アンドロイドといわれている存在です。知識は豊富だけど想像力や発想の自由さというものに乏しくて、感情を解さず応用の利かない彼女(?)。そんなマリオンAですが、マーカムとの暮らしを経るにつれて、徐々に人間くさくなっていきます。今時の言葉だとクーデレということにでもなるでしょうか(笑)。
 生命の問題。自意識の問題。自由意志と決定論の問題。幸福の問題。そして愛の問題。そうした哲学的なテーマを理屈を超えた物語として読者に届けてくれているのがSFを読む醍醐味だといえるでしょう。マーカムがアンドロイド社会に反旗を翻してからの展開*1がちょっと急すぎて安直なのが難点ではありますが、しかしながらそういうのは本書の要点ではありません。その後に待ち構えている結末にとって邪魔にならない程度の描写さえあればいいわけで、その意味では納得です。
 ちなみに、本書の裏表紙のあらすじはネタバレにも程があります。いや、確かに衝撃的で印象的な結末なのは分かりますし、本書が入手困難な今となってはいいアピールになるかもしれません。それに、人間とロボット(人工知能)というテーマを考えたときに、本書の結末はむしろ自明といいますか古典的なものだともいえます。つまり、それだけの普遍性を持っているわけなのですが、それでもやはり自重した方が良かったと思いますよ(笑)。

*1:フランケンシュタイン・コンプレックス、ロボットによる人間への反逆を問題とするものですが、本書はその反対なのが面白いところです。