『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~』(田中ロミオ/ガガガ文庫)

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

私小説とセカイ系についての雑文 - 三軒茶屋 別館
ライトノベルのあとがきと私小説についての雑文 - 三軒茶屋 別館
 昨今のライトノベルに指摘されるようなセカイ系的な枠組みや中二病的な考え方には私小説と相通じるものがあると考えられます。
 再々掲になりますが、小林秀雄私小説について次のように述べています。

彼等の私小説の主人公等がどの様に己れの実生活的意義を疑っているにせよ、作者等の頭には個人と自然や社会との確然たる対決が存したのである。
小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』p115より)

 普通のライトノベルだったら、セカイ系的な設定や中二病的な発想などはエブリデイ・マジック*1として物語世界に溶け込ませます。しかし、本書の場合はそうした設定やら発想やらを純なままに現実とぶつけさせています。先行作品としては『セキララ!!』(花谷敏嗣/ファミ通文庫)と同系統の痛々しい物語です。作中にもいくつかライトノベル作品に言及している箇所があったりして一種のメタ・ライトノベルといえるのですが、メタな作品にありがちな上から目線感覚ではなくて、ネタ的な意味でも真面目な意味でも直球勝負で痛々しいものになっています。
 個人と世界との対決の構図を表現する文学として、私小説の代わりに台頭してきた何でもありの文学。ライトノベルにはそんな一面もあると思います。もっとも、ライトノベルの主流読者が中高生である以上、そこで描かれているような個人の抱いている”セカイ”など、所詮は中二病的なものに過ぎません。ですが、程度の差こそあれそうした過程を経て人は成長していくわけですし、それに、大人になるということは、また別の”セカイ”を作り出すということでもあるでしょう。そうした”セカイ”が集まることによって世界が出来上がっているのですから、世界の側からしたって”セカイ”を全否定するわけにもいかなくて、そんな”セカイ”と世界の対立関係が、学園ラブコメとして楽しいながらも読み応えのある物語に仕上がっています。
 涼宮ハルヒ的な態度で砂糖菓子の弾丸を撃ちまくるヒロインの佐藤*2良子。そんな彼女に振り回されることになる主人公の佐藤一郎佐藤良子がセカイ側の人間ならば、何やら痛ましい過去があるらしい佐藤一郎はセカイと世界の架け橋となる人間です。そんな二人の関係は、実はクラスの約半数が電波系のいっちゃってる人々だということもあって基本的にはコミカルに進んでいきます。妄想電波飛ばしまくりの佐藤良子が気に食わなくて仕方のない大島の名前が”ユミナ*3”というのもメタな意味でシニカルです。
 そんな皮肉とユーモアの利いた物語ではありますが、要所要所に本気と本音が混ざっています。そういうのは、書き方によっては青臭いものになってしまいがちではありますが、本書の場合には既に痛々しさ全開の妄想臭がはびこっているので、中学生日記的なテーマも鼻につくことなく自然と向き合うことができます。
 何だかんだ言ってネタ扱いしながらも、ライトノベルを書く意味とか読む意味とかからも逃げないでくれています。風変わりなようでありながら実は直球のラブコメ小説なので、意外と間口の広い一般向けの作品なのかもしれませんね。

Xへの手紙・私小説論 (新潮文庫)

Xへの手紙・私小説論 (新潮文庫)

セキララ!! (ファミ通文庫)

セキララ!! (ファミ通文庫)

*1:ラノベ界隈では”現代学園異能”という単語もあるみたいです。

*2:この佐藤って苗字も単に平凡だからというだけではなくて、桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を意識してのものだと思います。多分ですが。

*3:漢字で書くと弓菜。それをわざわざカタカナ表記するところに『ユミナ戦記』(吉岡平富士見ファンタジア文庫)へのオマージュを読み取ることができますね。