『ゴーレムの檻』(柄刀一/光文社文庫)

ゴーレムの檻―三月宇佐見のお茶の会 (光文社文庫)

ゴーレムの檻―三月宇佐見のお茶の会 (光文社文庫)

 『三月宇佐見のお茶の会』連作短編シリーズの二冊目です。前作はすべての作品が現実とは違った世界での物語だったのですが、本作は必ずしもそうとは限らないので、幻想性という点では少々後退していますが、ミステリ的な論理とのバランスを考えると本書くらいが最適なのではないかと思います。

エッシャー世界

 絵画には、”あり得ない立体”や”不可能な立体”といわれるものがあります。エッシャーマウリッツ・エッシャー - Wikipedia)やペンローズロジャー・ペンローズ - Wikipedia)などが有名でして、作中にも「物見の塔」や「ペンローズの階段」が出てきます。二次元よりも三次元の方が次元的には高次なはずですが、立体としては存在できないものが平面では存在可能な不思議。結局は人間の脳内の問題ではありますが、論理的にはあり得ても現実にはあり得ない本格ミステリの世界と相通じるものがあります。後に続く現実世界での絵解きもあたかも次元を足していくかのような推理で解決するのですが、そこがとても面白いと思いました。

シュレディンガーDOOR

 絵画には、”多義の図形”といわれるものがあります。「ルビンの壺」や「妻と義母」、「夫と義父」、「カモとウサギ」、「エスキモーとインディアン」といったものが有名だと思いますが、見方によってどちらにも見える不思議な絵のことです(参考:http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/basics/art/index.html)。シュレディンガーの猫シュレーディンガーの猫 - Wikipedia)もこれと似ています。猫は死んでいるのか生きているのか。それはどちらとも決めることのできない不思議な状態で、まさに”多義の図形”です。本作で宇佐見博士は多義の解釈の特定を迫られることになりますが、その鍵を握るのは鉄壁のアリバイとも思える殺人事件です。謎に謎がかかった複雑な構造ながら絵的な美しさがあるのが巧妙です。

見えない人、宇佐見風

 絵画には、”騙し絵(トリック・アート、トロンプ・ルイユ)”といわれるものがあります。床や壁面にそこには存在しない人物や物体・風景を書いて見る者を惑わす作品のことです。人間の錯視を利用したそれは、見えないはずのものを見せて、見えるはずのものを見えなくしてしまいます。”見えない人”というのはチェスタトンを嚆矢とするミステリでは伝統的なテーマです。宇佐見博士が読むことになる作中作の”見えない人”の処理も鮮やかだと思いましたが、その後の”見えない人”の小技の方がむしろ印象に残りました。私はちゃんとと見られているでしょうか(笑)。

ゴーレムの檻

 絵画には、”あり得ない空間”といわれるものがあります*1。それは時間と場所の約束事を歪ませてしまいます。そんな常識と目の前の現象とが乖離してしまったときに魔術などといった超常現象が入り込む余地が生じるのでしょう。しかしながら、論理によって導き出される真実によってそれを上回る衝撃を受けてしまったら、それはもう感動の一言に尽きます。これこそまさにミステリを読み続ける醍醐味というものです。内と外についての談義は森博嗣の『笑わない数学者』を彷彿とさせますが、本書はその先を行ってます。傑作です。

太陽殿のイシス(ゴーレムの檻 現代版)

 「ゴーレムの檻」の現代版にして、連作短編作としての本書のオチをつとめる作品です。ラーとイシスのエジプト神話になぞらえられている本作は、「ゴーレムの檻」のみならず「エッシャー世界」、「シュレディンガーDOOR」、「見えない人、宇佐見風」の要素もミックスされたものになっています。本書の最後を飾るのに相応しい作品となってまして、連作短編集として落ち着きがよいです。もっとも、とても気になる結末なのは確かなので、願わくば少しでも早くシリーズ三冊目が刊行されることを祈るばかりです(笑)。
【関連】『アリア系銀河鉄道』(柄刀一/光文社文庫) - 三軒茶屋 別館

*1:絵画としては”あり得ない立体”の応用といえます。