『風の影』(カルロス・ルイス・サフォン/集英社文庫)
- 作者: カルロス・ルイス・サフォン,木村裕美
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2006/07/20
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「よし。これはねえ、本の物語なんだ」
「本の物語?」
「呪われた本たち、それを執筆した男、その本を燃やすために小説のページから抜けだした人物、裏切りや、失われた友情の物語だ。風の影のなかに生きる愛と、憎しみと、夢の物語なんだよ」
(本書上巻p300より)
「忘れられた本の墓場」での一冊の本『風の影』との出会い。ダニエル少年を成長させ、やがては「死」に至らせることになった一冊の本。少年を夢中にさせた素晴らしい魅力を放つその本とその作者であるフリアン・カラックスの作品は、何故かわずかしか市場には出回ることのない稀覯本でした。しかも、その本を燃やそうとする人物がダニエルの前に現れます。彼は『風の影』に登場する悪魔、ライン・クーベルトを名乗ります。いったいフリアン・カラックスとは何者なのか? ダニエルはカラックスの隠された過去を探求します。やがて明らかになる内戦で傷付いた都市の歴史。そして愛憎の物語。それらはやがてダニエルの人生にも重なってきます。物語が読者の人生を追いかけてくるのです。
「お世辞じゃないよ。これは脅迫だ」
「脅迫?」
「謎は明かさなきゃいけない。何が隠されているのか、調べてみなきゃいけない」
(本書上巻p298より)
カラックスの謎と平行して語られるのは”女”の謎です。クララ、ヌリア、そしてベアトリス。ダニエルはカラックスの本と彼女たちによって少年から大人へと成長していきます。愛と憎しみと信頼と裏切りとを彼女たちから学びます。いまどきの言い方だとリア充ということになるでしょうか?(笑)。
本書は”愛”をテーマにした物語でもあります*1。本という理性的で観念的な”謎”と女という情熱的で肉体的な”謎”。一人の人間をさいなむ二つの謎が語られるダニエルとカラックスの物語。違う時代を生きているはずの二人の物語を、作者と読者という異なる立場にいる二人を結び付けているのが『風の影』という一冊の本です。
「本は鏡と同じだよ。自分の心のなかにあるものは、本を読まなきゃ見えない」
(本書上巻p357より)
巻末の訳者あとがきでも触れられていますが、物語の背景となっているスペイン・バルセロナの歴史は、本書を理解する上で重要な点だと思います*2。本書の物語は内戦が終結してから6年後の1945年に「忘れられた本の墓場」で一冊の本、『風の影』と出会うことから始まります。フランコの独裁政権下にあったスペインでは事前検閲が行なわれていました*3。そのことが頭の中にあると、「忘れられた本の墓場」のイメージがさらに尊くも近寄りがたい神聖なものになっていくと思います。
また、恋愛小説として読む場合にも、当時のスペイン人の多くがカトリック信者であったことを念頭に置いておいた方が登場人物たちの行動原理を理解しやすいと思います。
共和国軍と反乱軍とによる内戦。共和国軍の内部闘争。共和国軍側の一勢力であった無政府主義者による教会への焼き討ちと聖職者の大量虐殺。内戦下にあって、バルセロナは1937年に首都マドリードから脱出してきた共和政府首脳によって新政府が樹立された都市であるという歴史を有しています。内戦を象徴する都市なのです。そうした事柄を頭の中に入れておくと、フェルミンの過去、ヌリアの残した手記、さらにはフメロという存在の恐ろしさが立体的に浮かび上がってくると思います。影の都市バルセロナに少しずつ光が差し始める物語。それが本書です。
過去の歴史が物語となり未来へと語り継がれます。親の物語は子供へと語り継がれ、その子供の物語もまた次の世代へと語り継がれます。光があてられるからこそ影が生まれます。光と影は表裏一体です。光は影を思い影は光を思います。物語にとって読者は光でもあり影でもあります。読者にとっての物語もまた同じです。そんな不思議な関係にあるからこそ、本読みは物語にひかれるのだなぁと、そんなことを本書を読んで思いました。
【関連】ミステリと民主主義 - 三軒茶屋 別館
【私的参考文献】『スペイン戦争』(三野正洋/朝日ソノラマ)
- 作者: 三野正洋
- 出版社/メーカー: 朝日ソノラマ
- 発売日: 1997/03
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