『エデン』(スタニスワフ・レム/ハヤカワ文庫)

エデン (ハヤカワ文庫SF)

エデン (ハヤカワ文庫SF)

 『ソラリスの陽のもとに』『砂漠の惑星』に先行する、いわゆるレムのファーストコンタクト(=未知なるものとの出会い)もの三部作*1として名を残している一冊です。
 長らく入手困難でしたが、紀伊国屋書店「絶版文庫復刊フェア」によってめでたく読ミガエルこととなりました。『ソラリス』と『砂漠の惑星』を読んでレムの虜になって以来、ずーっと読みたいと思ってましたので、まさに感無量です。紀伊国屋書店ありがとー。
 6人の地球人科学者の乗った宇宙探査船は、計算ミスによって惑星エデンに不時着します。奇跡的に怪我なく地表に降り立つことができた6人。宇宙船の修理をする前にエデンを探検することにした6人が目にしたものは、巨大なオートメーション工場と、エデン人の死体の堆積だった。というお話です。
 6人の地球人科学者とは、コーディネーター、ドクター、技師、物理学者、化学者、サイバネティシストの6名です。本書は三人称記述ですが、そうした語りにおいて、基本的には上記の職業名で登場人物は呼称されます。個体名が明らかになることはありません*2。理由としては、(1)宇宙人とのコンタクト・コミュニケーションを考える場合において、特別な個人の認識ではなくより広範な人類の認識というものを議論の俎上とするため、(2)職業名が表す役割分担と作中で明らかになるエデン人の社会制度とを比較するため、といったものが考えられます。まるでRPGのパーティみたいですが(笑)、通常の小説とは違った”人間”を描くことを目的とした本書のテーマに非常に適した試みだと思います。
 本書は、惑星への不時着という不慮の場面から物語が始まります。想定外の出来事を前に、ある者はとまどいある者は事態の収拾を図ろうとし、そうした意見がぶつかり合い紛糾します。こうした冒頭から続くやり取りが、物語の中盤以降でのエデン人とコミュニケーションをとることの困難さとの対比として機能することになります。同じ地球人同士でも意見がぶつかり合い完全に分かり合えることはありません。それでも地球人同士ならある程度は分かり合えます。しかし、それにはどれだけの共通認識が関与していることでしょう。
 オートメーション工場で目にしたエデン人の無数の死体。ファーストコンタクトといえば、それが平和的なものであるか戦争となるかは置いておくとしても、普通は生きた宇宙人との接触をイメージします。ところが、レムはそうした想像を嘲笑うかのように大量の死体を読者の前に用意してみせます。これもまたひとつのファーストコンタクトなのだと。
 『ソラリス』も『砂漠の惑星』もファーストコンタクトが登場人物たちの目的ではありますが、物語的にはその失敗がテーマとなっていますが、本書『エデン』ではとりあえず成功しています(?)。ぶっちゃけ意外でした(笑)。本書で行なわれるファーストコンタクトというのは紛れもなく情報戦です。自分たちの情報を小出しにしつつ、それ以上の情報をいかに相手から引き出していくか。とはいえ、”情報”と一言で言っても、そもそも相手側に言葉があるのか否かすら分からないわけです。何らかのデータ・事実・経験が得られたとしても、その意味を理解することは困難を極めます。とはいえ、レム作品の中では比較的分かりやすい部類のストーリーだと思います。
 しかし、それにもかかわらずカタルシスというか爽快感というものが、読中・読後を問わずまったくありません。想像力を刺激するだけ刺激して考えるだけ考えさせて、それ自体はとても楽しいのですが、それでこの結末ですからレムはホントに容赦がないです。さすがです。『エデン』とはよく言ったものだと思います。
 正直レム初心者にはちょっとオススメしづらいです。しかし、レムのファンであれば、本書を手に入れるのが念願だったという方もおられるのではないでしょうか。そんな私みたいな方には問答無用でオススメです。

*1:SF的テーマが共通なだけで、三者の間にストーリー上のつながりなどは一切ありません

*2:ただし、技師のみ「ヘンリック」という個体名で呼ばれることがありますが、本書においては極めて異例な扱いです。技師が作中において特別重要な役割を与えられているというわけでもないので不思議です。