『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 3』(入間人間/電撃文庫)

 本シリーズは、殺人→解決というミステリとしての体裁を一応保っています。もっとも、容疑者候補となるキャラクタの数はとても限られていますし、気の利いたトリックが用いられているわけでもありません。そうした意味でミステリとしての醍醐味はほとんどありません。いわば偽りのミステリですが、そう表現しても本シリーズの場合は別に失礼には当たらないでしょう。何といっても、「嘘だけど」が売りですからね(笑)。
 ミステリという形式の借用はメフィスト賞作品の一部において顕著に見られる手法ではありますが、その主な理由はストーリーの進めやすさにあります。本シリーズにもそうした側面があることは確かですが、それだけではありません。
 ミステリというのは論理の文学です。作中で生じた殺人事件について犯人の行動を推理するときに重要視されるのは論理に裏づけされた合理性です。狂人による殺人の場合であっても例外ではありません。狂人には狂人の論理があり、それを読み解いて推理することでミステリは成立し、解決することになります。
 ただし、通常のミステリにおいてそうした狂人の論理というものは、当然のことながら犯人が特定されるまで明らかにされることはありません。そうでないと犯人当てゲームになりませんからね(笑)。したがって、犯人が誰か分からない段階では、正気と狂気との綱の引き合いによって物語は進んでいきます。正気が狂気のように見え、その一方で狂気が正気であるかのようにカモフラージュされます。そして真相と共に最後に明らかにされる狂気。それが隠されていたものであるからこそ、読者はそうした狂気が我々の日常にも潜み得るものだと実感することになり、衝撃を覚えることになるわけです。
 ところが、本シリーズでは登場するキャラクタのほとんどが病んでます。「木を隠すなら森」と言いますが、本シリーズでは、狂気が狂気の中に紛れ込んでしまっています。通常のミステリでは正気の対義語として狂気というものが表出することになるのですが、本シリーズの場合では正気などというものは存在しません。狂気と狂気の相対的な関係によって浮かび上がる殺人の狂気。その中にあっては、殺人者の狂気が最悪のものだとは必ずしも断言できません。そこに、道化ものめいた面白さと哀しさがあります。狂気と狂気が化学反応を起こして物語が滅茶苦茶になってしまいかねないところ、ミステリという形式によりかかることによってかろうじて物語として原型をとどめている。本シリーズにはそんな危うさが感じられます。そこが本シリーズの魅力でもあります。
 主人公のみーくんは嘘つきです。他者に嘘をつき自分にも嘘をつき、そうすることで自分とまーちゃんとの二人の世界を守っています。その一方で、みーくんは本シリーズにおける探偵役でもあります。探偵には隠された真実を見抜き犯人を明らかにする役割が与えられています。したがいまして、登場人物たちの言動から矛盾点を見出してそれを論理的につなぎ合わせることが求められます。嘘ばかりついているみーくんが指摘する本当の真実。探偵役としての役割が、彼の目を外の世界へと向けさせます。嘘ばかりでは嘘にはなりません。本当があるから嘘があるのです。みーくんは「嘘だけど」を口癖にしていますが、それは本当というものがあることを自覚しているからでしょう。
 ネタにならないものをネタにしようとするためのネタ(章題が他の電撃作品のパロになってるとか)を交えた飄々とした偽悪的な語り口も本シリーズの魅力ではあるでしょう。しかしながら、本シリーズの真の魅力は、その語り口によって誤魔化されている本当と見たところでお先真っ暗と思われる未来が描かれている点にあると思います。将来に対する閉塞的なスタンスと状況が今の若者に共感されちゃってて、それが意外にも人気シリーズ(当社比。ここだけの話、打ち切られてもあんまり驚きません・笑)になってる理由じゃないでしょうか。
 真実を明らかにすることが定型のミステリの目指すところですが、真実から目をそむけ続けている本シリーズの場合、いったい物語はどこへ進んでいくのでしょうか。みーくんとまーちゃんには果たして未来があるのでしょうか。続きがとても楽しみです。嘘だけど(笑)。
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